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zoom RSS 40/反日勢力が「日弁連」を掌握しようとした理由と、本来の日本の法体系

<<   作成日時 : 2018/06/07 12:23   >>

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 前回『39/反日勢力は有事発生による外患誘致罪発動を覚悟しなければならない』において、「反日勢力」の人達の思想が、如何に「真理」に反しているか、そして、外患誘致罪の発動の引き金となる「有事」が、何時発生してもおかしくないことについて書きました。そして、日本に於ける「反日勢力」の牙城が「日弁連」であることと、その「日弁連」傘下の反日弁護士に対して、現在約1000名もの一般国民から「弁護士懲戒請求」が提出され、社会問題になり始めている事実に触れました。

 『何故「日弁連」が「反日勢力」の牙城であるのかについての詳しい考察は、次回に譲ります。』と、前回予告しておりました通り、今回は、【反日勢力が「日弁連」を掌握しようとした理由と、本来の日本の法体系】について、「司法」と「日弁連」に隠されているカラクリ≠暴露してみたいと思います。そのポイントを極簡単に箇条書きにすれば、次の通りとなります。

(1) 『旧約聖書』の「神が条件(契約)を創り、人間がそれに従う」という「契約思想」と、
(2) 『旧約聖書』の「神が人間を土の塵で造った」という「神は創造主で、人間は被造物」(神は支配者で、人間は被支配者)という「二元論思想」「対立思想(支配・被支配の思想)」「唯物思想」が基となり、
(3) それらの根本思想から、西洋文明(ユダヤ教文明・キリスト教文明)に見られる差別主義、迫害主義、暴力主義、侵略主義、植民地主義、奴隷制度、共産主義暴力革命、物質(唯物)主義、グローバル主義、銀行による通貨支配・・・等々の、国民、民族、異教徒、他国を差別して支配する所の「暴力的、物質的、金銭的支配」体制が必然的に生じた。
(4) つまり、『旧約聖書』的「契約」「支配・被支配」「唯物論」の思想から必然的に生じたのが、「司法・日弁連」による「国家と国民の支配」体制である。

 「反日勢力」や「左翼勢力」さらに「似非保守勢力」は、巧みに日本国民を騙して、「反日勢力」の陣営内に、人々を引き入れようとしています。生長の家現総裁谷口雅宣氏等も、その一味(工作員)であることについては、既に様々な事実の積み重ねによって、疑いのないものとなっております。吾々日本国民と生長の家人にとっては、これら「反日勢力」達の巧みな戦略や戦術に対して、どのように対処すべきかが、最大の課題であると言えるでしょう。(※注)

(※注・・・・この問題については、次回考察したいと思います。これを解く鍵は、『古事記』の「夜見國の段」の《黄泉比良坂の坂本に至る時に、其の坂本なる桃子(もものみ)を三箇取りて、待ち撃ちたまいしかば、悉に逃げ返りき。》にあることを、谷口雅春先生は既に御説き下さっております。谷口雅春先生が説かれた『古事記』は、世界と国家と人間の諸問題解決の鍵であります。)

 今回取り上げるのは、現在の「反日勢力」の牙城であるところの「日弁連」が、何故「反日勢力の牙城」と言い得るのかという問題の本質について、解説したものであります。一般的に「弁護士」や「司法」は、国民の見方≠ニ漠然と思い込んでいる場合が多いのですが、実は彼らの「思想」の奥には、「伝統的な日本精神」や「日本的法体系」を破壊して、「西洋の唯物的法体系」を使って日本民族を支配しようという、魂胆≠ェ存在していることを知っておく必要があります。

 以下の【反日勢力が「日弁連」を掌握しようとした理由と、本来の日本の法体系】なる文章は、平成30年6月5日付け『余命三年時事日記』ブログ「2546 日本人と在日朝鮮人との戦いがはじまった23」に掲載されたものであり、その投稿記事を転載いたします。
http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2018/06/05/2546-日本人と在日朝鮮人との戦いがはじまった23/


【反日勢力が「日弁連」を掌握しようとした理由と、本来の日本の法体系】

今回の懲戒請求によって、「日弁連」及び「司法」が反日勢力の牙城である事が明らかになった。そして今、その「日弁連」と「司法」のあり方が問われようとしている。この時期に当たって、何故、「日弁連」と「司法」が反日勢力の牙城となっているのかを、考えておきたい。反日工作を行う上で、その勢力が最も重視するのは、三権分立(立法権・行政権・司法権の分立)で自治が守られている「弁護士会」である。「弁護士会」を手中に押さえることによって、この国の乗っ取りが半分完成する。これについては、表面的な意味において理解され易いが、この「司法」の制圧という戦略には、極めて大きな意味が隠されている。日本人の考えている「法律」の意味と、西洋人の考えている「法律」の意味とは、そもそも根底から違っていることを知らねばならない。日本人にとっての「法律」は、「調和ある社会のルール」位にしか考えていないが、西洋人にとっての「法律」は、「他人を支配する法律=vであり、「他人から支配される法律=vという概念を根底に持っているところに、本質的な「法律」に対する概念の違いがあるのである。

つまり、日本人にとっての「法律」は、国民や他人を支配する為の「法律」という概念などないが、西洋人にとっての「法律」は、前述したように、「他人を支配する法律=vであり、「他人から支配される法律=vであるから、如何に「他人を支配する為に法律=vを作り運用するか、また、如何に「他人からの支配を受けない様な法律=vを作り運用するかが問題になって来る。この「法律」に対する概念の本質的相違を理解しない限り、我が国に起きている「法律問題」「司法問題」、さらには「憲法問題」に対する根本的な解決には至らないと考えられる。

日本における反日勢力のバックには、中共・北朝鮮・韓国の特亜三国の支援(過去に於いては旧ソ連からの支援)があり、さらにそのバックには、グローバル勢力(ユダヤ金融勢力)がある事について、『2528 あまむし@』で指摘させて頂いた。つまり、反日勢力の思想的本源は、グローバル勢力(ユダヤ金融勢力)にあり、その思想は「ユダヤ『旧約聖書』思想」に基づくと考えられる。つまり、反日勢力の大元の思想は、「ユダヤ『旧約聖書』思想」であり、その思想の「法律(律法)による支配の構図」こそが、反日勢力の理念的(思想的)土台であるという事になる。

これから語る事は、現在の「法体系」や「日弁連」とは直接の関係がなさそうに思われるだろうが、少し我慢して御覧頂きたい。この「法律(律法)による支配の構図」を理解するには、『旧約聖書』に遡る必要がある。ユダヤ民族は「神との契約」を交わした。それが『旧約聖書』である。「神が条件(契約)を創り、人間がそれに従う」この思想が「契約の思想」である。その「神の契約」を守れば、人間は罰せられずに済み、守らなければ神から罰せられる。これが「契約(法律)」と「罪、罰」という思想の原点と考えられる。「神との契約(約束)を守らなかったことによって、アダムとイブはエデンの園から追放され、人類は原罪≠背負った」という神話を彼らは創った。その「原罪」の原点にあるものは、「契約」の概念でもある。
この「神との契約を人間は守らねばならない」という思想は、自ずから、「支配・被支配」の思想として、人間同士、国同士、民族同士の間の「支配・被支配」の関係を築き上げて行く事となった。何故、西洋社会が「契約社会」であるのかの、本質的説明はこれで理解できる。さらに、ユダヤ思想(『旧約聖書』思想)に基づいた、ユダヤ教、キリスト教(※注)、イスラム教の文化、主に西洋文明の歴史が、「侵略と戦争と奴隷」によって延々と刻まれて行ったのは、そこに原因があると断定しても過言ではない。因みに、西洋社会における「労働」の観念は、「原罪」に基づく「罰則」から来る概念であるが故に、日本民族の様に「労働」を神聖視することは出来ないのである。「労働」を「罰則」と捉える考え方も、全て西洋人の信ずる『旧約聖書』思想から発していると言える。

一方、東洋特に日本では、そのような「支配・被支配」の思想がなく、「和の精神」が中心思想として発展した。故に日本民族は「侵略と戦争と奴隷」とは無縁の歴史を築いた。そういった本質的違いが何処にあるのかと言うと、『古事記』の神話にその原点が見られる。『古事記』の思想は、『神が神々を生み、森羅万象を生み、更に天孫降臨によって神が人間の形となって天降った。その子孫の天皇も国民も全員が神≠ェ生んだ神の子孫である。森羅万象は、八百万の神として礼拝の対象となる』という思想である。故に日本民族は、全ての人と森羅万象に対して「礼」を重んじる。西洋人にはそれが不思議なのだ。日本民族にとっては、他人も森羅万象も一切が「神の兄弟」であるから、「一体」であるばかりでなく、「神聖なるもの」と感じているが故に、「支配・被支配」の概念の入り込む余地がないのである。

「神が人間を生む」という『古事記』の思想と対照的に、『旧約聖書』の思想は、「神が人間を土の塵で造った」という思想である。『古事記』は「神が人間を生んだ」(生まれた人間も結局は神=j(神=人間)で「同じもの」「一体」という思想に対して、『旧約聖書』では、「神が人間を土の塵で造った」という「神は創造主で、人間は被造物」(神は支配者で、人間は被支配者)という「二元論思想」「対立思想(支配・被支配の思想)」「唯物思想」という、本質的相違を見出す事が出来るのである。つまり、『古事記』と『旧約聖書』とは、思想の上に本質的相違を生み出したと言える。『古事記』の思想は極めて「霊的な思想」であり、『旧約聖書』の思想は極めて「唯物的思想」なのである。故に日本では霊的文明が栄え、西洋では物質文明が栄えることになった。それぞれの民族が信ずる「思想」の本質的違いの結果、日本民族とユダヤ民族は、2000年以上の歴史を通じて、正反対の経験を作った(積み重ねた)のである。どちらが幸福で平和な世界を築いたかは、今や世界中の全ての人々が理解する時代となった。その本質的相違の原点は、『古事記』の思想と、『旧約聖書』の思想の決定的違いにあると見て良いと思う。

(※注) 一つ誤解を与えない為に「キリスト」について、擁護しておきたい。キリスト御自身の教えは、「人間は神の子である」と終始説いておられた。(主の祈り≠ノある「天にまします我等の父よ」とは、神は人類の父であるという思想である、つまり、「人間は神の子供である」とキリストは説いた)しかし、後のキリスト教会が、「人間は罪の子」(『旧約聖書』の思想)「キリストだけが神の子」だと教えて、本来のキリストの精神を歪めたのである。キリストが間違っていたのではない。「神の子」という思想は、『古事記』の「神が人間を生んだ」「神が降臨して人間となった」という思想と全く同じである。キリストは救世主として、当時のユダヤの間違った「唯物思想」(人間は土の塵で作られた被造物であるという思想)を、諭す為に出現したのであろう。しかし、当時のユダヤ人達の多くが、その事を理解できずに、(又、何かの不都合を隠すために)キリストを磔にして殺した。キリストの思想は、『古事記』の思想と基本的に同じと言えるのである。

この本質的相違から生じたのが、西洋文明(ユダヤ教文明・キリスト教文明)に見られる差別主義、迫害主義、暴力主義、侵略主義、植民地主義、奴隷制度、共産主義暴力革命、グローバル主義、銀行による通貨支配・・・等々の、国民、民族、異教徒、他国を差別して支配する所の「暴力的、物質的、金銭的支配」体制であると言える。それに対する日本では、「絶対無私」であらせられる天皇陛下を中心とする「平和的、繁栄的、安定的、調和的国家」体制が作り上げられた。それも2600有余年もの長期間、継続して統一国家が存在しているという奇蹟が、世界史的事実として成り立っている。西洋諸国は、戦争と侵略によって、絶え間ない国家の破壊が繰り返されて来た。この相違は決定的と言える。

今、「日弁連」傘下の弁護士会による、「憲法89条」違反と疑われる「朝鮮人学校補助金支給要求声明」を見る様に、「司法」の中心的役割を持つ「日弁連」において「法の正義」が通用しなくなっている。これは「國体」を揺るがす「国家的危機」以外の何ものでもない。その根底には前述した様に、西洋の『旧約聖書』の「神が土の塵で人間を造った」とする「二元論思想」「対立思想」「支配・被支配思想」「唯物思想」があり、その思想に基づいた「司法」の制圧であることを指摘した。本来、「法律」とは、「宇宙の法則」「原因結果の法則」「自然の摂理」を社会生活上に体現したものである筈である。即ち「法律」とは、自然と調和したものである筈であり、全ての人々の社会生活を幸福ならしめるためのものである筈である。

日本における「憲法」の根源は、聖徳太子の『十七条憲法』に見られるように、《和を以って貴しとなし、忤(さから)うこと無きを宗とせよ。》(和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい)という和の精神≠ノ代表されると言って良い。実に自然な法律であり、どこにも無理が無い。又、明治天皇の勅命により布告された『五箇条の御誓文』には次の様に記されている。
一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一、上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。
一、官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。
なんと、厳粛にしておおらかな誓約であろうか。かくの如きが、本来の日本における「法」の原点であるべきである。それは何故かと言うと、前述したように、日本民族が抱いている「神が森羅万象と人間を生んだ=vという根本思想に基づいている為である。しかし、戦後の占領軍の日本弱体化政策によって、明治憲法を始めとする、良き日本の法体系は破壊され、欧米の「支配・被支配の思想」と「唯物思想」に基づく法体系にすり替えられたのである。そして、その西洋思想(『旧約聖書』思想)の「支配・被支配の思想」「唯物思想」が蔓延したことの結果として、今日の反日思想の跋扈となっている。如何に「法体系」が重要であるかという教訓≠ナある。その「法体系」の核となるものは、如何なる思想≠ノ基づいて「法律」を制定するか、如何なる精神≠ノ基づいて、その「法律」を運用遵守するかにかかっている。

反日勢力の牙城と化した「日弁連」は、この様な「ユダヤ唯物思想」(『旧約聖書』思想)の「支配の為の契約」概念に基づき運用していることが、本質的に問題なのである。それに対して、日本本来の「法体系」は、日本文化の伝統である「和の精神」(調和と生かし合い)の世界観に基づいたものである。キリスト的に言えば、日本文化は「神の愛」の文化である。確かに日本ほど、「神の愛」(天皇の愛)に満ち溢れた国家はないであろう。この「神の愛」(天皇の愛)に満ち溢れた素晴らしい国家を破壊したのが、先の大戦であり、それを仕組んだものは、ユダヤ共産主義=国際金融勢力=反日勢力であったのである。今「日弁連」の反日支配の実体が悉く暴露されているのは、戦後73年間続いた『旧約聖書』を根源とする、西洋の「唯物思想・支配思想」に基づく「法体系」が、如何に間違ったものであったかの結果の証明であり、それらの「悪業」が破壊される時期が来ていることを、如実に示していると言える。そして、その先にある世界は、日本本来の「和の精神」に基づく「法体系」の確立と運用であると、小生は信ずる。安倍総理の「日本再生」と、余命プロジェクトは、「日本本来の国のあり方」への回帰でありましょう。安倍総理と余命プロジェクトの関係者に心からの感謝を捧げます。感謝合掌(あまむし)

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