1/マルクスの建前と本音

マルクス主義。この暴風は20世紀を駆け抜け、全世界を悲惨のどん底に貶めた。昨今では中共(中華人民共和国)、北朝鮮、その他わずかばかりの国が生き残ってはいるものの、その恐怖政治と腐敗ぶりは目を覆いたくなるばかりだ。日本でも今もなお共産主義やマルクス主義を理想にしているグループが存在しているが、彼らは本当にマルクスやユダヤ人たちの本音を知っているのだろうか?

マルクス主義とは唯物史観であり、唯物論だ。唯物史観(唯物論的歴史観)とは何か?簡単に言えば・・・・・・自然界の物理法則と同様に、人間社会の経済も法則で成り立つとの仮定だ。それを元に、「資本主義はその内在する矛盾から必然的に社会主義革命を引き起こし、次の段階である共産主義に移行する」と結論付けた。

マルクス主義を知るには、まず彼がユダヤ人であるということを知っておかねばならない。

マルクス家は代々ユダヤ教のラビであり、1723年以降にはトリーアのラビ職を世襲していた。マルクスの祖父マイヤー・ハレヴィ・マルクスや伯父ザムエル・マルクスもその地位にあった。父ハインリヒも元はユダヤ教徒でユダヤ名をヒルシェルといったが、彼はヴォルテールやディドロの影響を受けた自由主義者であり、1812年からはフリーメーソンの会員にもなっている。そのため宗教にこだわりを持たず、トリーアがプロイセン領になったことでユダヤ教徒が公職から排除されるようになったことを懸念し、1816年秋(1817年春とも)にプロイセン国教であるプロテスタントに改宗して「ハインリヒ」の洗礼名を受けた。
母方のプレスボルク家は数世紀前に中欧からオランダへ移民したユダヤ人家系であり、やはり代々ラビを務めていた。母自身もオランダに生まれ育ったので、ドイツ語の発音や書くことに不慣れだったという。彼女は夫が改宗した際には改宗せず、マルクスら生まれてきた子供たちもユダヤ教会に籍を入れさせた。叔父は欧州最大の電機メーカーであるフィリップスの創業者リオン・フィリップスであった。・・・・・・・マルクスが6歳の時の1824年8月、第8子のカロリーネが生まれたのを機にマルクス家兄弟はそろって父と同じプロテスタントに改宗している。母もその翌年の1825年に改宗した。この時に改宗した理由は資料がないため不明だが、封建主義的なプロイセンの統治や1820年代の農業恐慌でユダヤ人の土地投機が増えたことで反ユダヤ主義が強まりつつある時期だったからかもしれない。》
(Wikipedia 「カール・マルクス」より)

ご存知の通り、ユダヤ人は長年西欧において幾多の差別と迫害を受けてきた。マルクスの家系は敬虔なユダヤ教徒だった。その時代、ラビ職の家系であった両親でさえ、一家全員がプロテスタントに改宗せざるを得なかったほどに、反ユダヤの雰囲気に覆われていた。そのような反ユダヤの時代背景の中で育ったマルクスは、唯物弁証法、ならびに唯物史観を打ち立て、資本論を表し、後にその理論に基づき共産主義革命に奔走することとなる。唯物史観は前述したが、この根底にある思想は、唯物弁証法だ。これは何か?

《エンゲルスは『自然弁証法』において、唯物論的弁証法の具体的な原則を三つ取り上げた。
「量から質への転化、ないしその逆の転化」「対立物の相互浸透(統一)」「否定の否定」
これらがヘーゲルにおいても見られることをエンゲルスも認めている。1.は、量の漸次的な動きが質の変化をもたらす・・・》
 (Wikipedia 「マルクス主義における弁証法」より)

ごく簡単に言えば、物質の量が増加すれば、その質(性質)も自動的に変化する、とマルクスとその友エンゲルスは主張したのだ。例えて言えば、鍛冶屋さんが古来の技法で、一丁一丁手作りで包丁を作るとしよう。手作りならではの上等な包丁が出来上がる。これは質の高い名品として愛用されるだろう。これは儲かると、機械設備を投資して、同じような包丁を大量生産し始める。それなりの製品ではあるが、手作り包丁に比べるとその品質はかなり低下せざるを得ない。価格は安くなるが、包丁の価値は半減するだろう。

マルクスは「物質の量が増えることにより、その質が変化する」と主張し、それが自然な法則であるとする。まぁ、確かに表面的にみれば、大量生産(物質の量の増加)は質の変化を及ぼしたと見ることも可能だ。しかし、これはマルクスの仕組んだトリックにすぎない。

どなたも既にお気づきと思うが、トリックのタネを明かせば・・・・・包丁(物質)が増えたのは、作り方(考え、ビジョン、計画、設備、制作手段・・・)が変わったからだ。考え方やビジョン、計画が変われば、設備、制作手段なども変化し、当然製品の質(品質)が変化するのは当たり前だ。「考え方、ビジョン、計画」のことを「想念」という。想念が変わったために、結果的に量と質が変化したにすぎない。物質の量が変化したために、自動的にその質が変化したのではないことは誰でも知っていることなのだ。

マルクスやエンゲルスは、こういった誰でも分かる極簡単な当たり前の道理を、無理矢理ねじ曲げた上、「唯物弁証法」などという、小難しい言葉をふんだんに使って理論を並べて、さも立派な哲学原理であるかのように装い、人々を欺いたのだ。まぁ、言って見ればペテンにすぎない。つまりマルクスは立派な「ペテン師」と言っても差し支えなかろう。


このような全く間違った虚構仮説の上に、膨大な唯物史観なる架空の理論を作り上げ、資本論をはじめ多くの論文を書き、「資本主義はその内在する矛盾から必然的に社会主義革命を引き起こし、次の段階である共産主義に移行する」という結論を作り出した。マルクスの思想体系は、彼が仮定した原点思想である「唯物弁証法」からして全くのでたらめであり、その虚構の絶対条件の上に構築された「資本論」をはじめとする理論体系は、虚構論理であるということがはっきり分かるのである。

案の定、マルクス主義を標榜し、共産革命を果たした20世紀の多くの国家は、そのほとんどが100年を待たずして、悲惨な歴史を露呈し、空しく崩壊した現実を見ても、マルクス主義、その根底にある唯物弁証法、唯物史観、資本論のいい加減さは誰でも分かるはずである。マルクスにとっての「資本論」をはじめとする理論体系は、実は「建前」にすぎないのだ。


では、いったいなぜにマルクスは一生をかけて、このような空理空論の虚構論理をわざわざ構築していく必要があったのだろうか? なぜマルクスは、道理を無理やり曲げてまで、ウソの虚構論理を創作し、共産革命を行う必要があったのか? 

前述したようにマルクスはユダヤ人のラビを継承する家系である。国家を持たないさすらいの民族、他民族からの迫害の歴史(迫害されるにはそれなりの理由があるのだが・・・・)。そういう彼らユダヤ人は、明確な目的意識を持ち続けてきた。それは国家の転覆と、ユダヤ人の権力と財産の奪取だ。

ここに「日本人に謝りたい~ あるユダヤ長老の懺悔~」という興味深い文献がある。著者の名はモルデカイ・モーゼ。ルーズベルトのブレーンとして活躍し、1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画したユダヤ人である。現在は絶版となっており大変残念だが、貴重な資料なので、その一部を引用させていただく。

《マルクス主義の国家論をお考え頂ければ十分と思う。マルクス主義というものは別章で詳しく述べる如く、ユダヤ人が自己の民族的解放事業のための道具として編み出した虚構論理なのである。マルクス主義の国家論はご存知のように、国家とは破壊、転覆すべきものであるということを根本原理としているものである。国家というものがあるためにユダヤ人は過去幾千年、迫害、虐殺をくり返されていたものである。自己をこのような悲惨な境遇から救うためには、国家というものを転覆することが唯一の方法であったのだ。
つまり、それによりユダヤ人が権力と財産──後にこれは生産手段という社会科学的用語にかえられたが──を奪取することによってのみ解放されるということである。これがマルクス主義の根本原理なのであるが、この国家の破壊という大事業の前に最も邪魔になるのが君主制という制度であったのだ。そのため特に、君主制の打倒ということが最大の目的となったわけである。》
(「日本人に謝りたい~ あるユダヤ長老の懺悔 ~」モルデカイ・モーゼ著 より」

マルクスにとっての「本音」は、ユダヤ人の「本音」である。つまり「ユダヤ人の権力と財産の奪取」にあったのだ。その目的達成のためには、手段を選ばない。彼らにとって主義、主張、方法、手段は問題ではない。目的達成こそに意義があったのだ。ユダヤ人たちはそのことをはっきりと理解していた。マルクスにとっても同様に、自身が作り上げた唯物史観も資本論も「建前」であり、「ユダヤ人の権力と財産の奪取」という「本音」部分は絶対に隠す必要があったのだ。

したがって、彼の理論体系が真っ赤なウソであることは、マルクス本人が一番知っていた筈である。彼は根っからの革命家であり、ペテン師である。彼の目的は国家破壊の革命であり、さらにその奥には「ユダヤ人の権力と財産の奪取」という誰にも知られてはならない、極秘の真の目的が存在していたのであった。いわば彼にとっては、唯物弁証法や唯物史観なる哲学も、資本論なる経済学理論も、単なる手段にすぎず、どうでもよいものであったのであろう。


しかし、「建前」であるマルクス主義を信奉した絶対多数の非ユダヤ人たちは、その真意「本音」を知り得るはずもなかった。絶対多数の非ユダヤ人のマルクス主義信奉者は、マルクスの理論を鵜呑みにし、暴力革命に加担し、王族を抹殺し、国家を破壊し、無数の人類を殺害し、国土と歴史ある文化伝統を破壊しつくすことに協力していったのだ。自分達が一部のユダヤ人たちの秘めたる策略に乗せられていることも知らずに・・・・・・。

そして、未だにマルクスの秘められたる真意「本音」と「建前」を知ろうともせず、マルクス主義、共産主義、社会革命の亡霊に生命をかけ続ける人たちも多々いるのだ。まことに「無知」ということは、罪悪と言わざるを得ない。「無知」こそが、人類の最大の敵とも言えよう。我々人類に求められていることは、まさに「真実を知る」ことではないだろうか。

                                 *****

第一回目の書き込みから、重い内容になってしまった。なぜマルクスから入ったのか? 書き始めるとき、急に「マルクス」のことが心に浮かんだので書き始めてしまった。

今日2月11日は我が国の建国記念の日である。実に2674年という世界一長い歴史を我が日本は持っている。逆に、二千数百年もの間国家をなくし、他国を放浪した民族もあるのだ。そのユダヤ人は過酷な民族体験を通して、国家と民族の尊厳を勝ち取ろうとありとあらゆる手段を労して、民族の目的達成のために命を投げ出して戦い続けているのだ。欺瞞と策略と憎しみに満ちた彼らの生き方に対して、その善し悪しは論じまい。彼らの切実な願いと行動は、国家をなくした彼らにしか分かり得ないに違いない。

しかしながら、ウソや策略や憎しみをベースにした想念と行動がもたらす結果は、またしても悲惨なものにならざるを得ないという歴史の現実と教訓を、ユダヤ人のみならず、その事実に気づかずにいる人々は、真剣に受け止めるべきである。ウソ、誤魔化しによって世渡りする者は、この宇宙はそれにふさわしい欺瞞に満ちた結果を与えてくれることを、散々我々は学んだではないか。

幸い日本民族はその宇宙の神秘な仕組みを、直感的且つ経験的によく分かっていたのだろう。古来日本人は「真心」や「正直」を大切にしてきた。それは自分達が想念し行動した結果として宇宙が提供してくれたものを、誤摩化すことなくそのまま受け止めて、自らの教訓にすることを意味している。自分が感じ取った感性、教訓に対して正直であれ! ということだろう。真心を大切にしてきた日本民族は、結果として他国とは比類のない、精神文化と平和な国家、柔和な国民性を維持できたのだと思う。

2674年間、宇宙の神秘的仕組みを理解し、それに則った生き方を継承し、国家を守り抜いてくださった日本民族の祖先、先達に、建国記念の日にあたり、心から感謝申し上げたい。

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