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zoom RSS 6/中心帰一 その三/天皇に対する中心帰一

<<   作成日時 : 2014/06/17 15:18   >>

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 三回目の「中心帰一」関連の書き込みです。今回も生長の家関連の書込みですので、ご興味のない方はスルーして下さい。

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 「人は何のために生きるのか?」という究極の疑問の答えとして、私は常々このように答えています。「人は何のために死ねるのか?」

 人は如何に生きるべきか、と常に自問自答しています。その答えを求めて悩み苦しみます。しかし、それの答えを簡単に出す事は難しいものです。その難しさの理由を端的に申せば、生きるという意味合いの中には、魂(生命)的人間が生きることと、現象人間(肉体人間)が生きると言う相反する意味合いが共存しているからです。この両者はなかなか両立し得ないので、遠く古(いにしえ)から聖者たちは深刻に悩んだのです。

 魂を生き切るという場合、場合によっては、肉体生命を殺す事も厭(いと)わない場合が往々にして出て来ます。究極の形として、肉体生命と魂を比べた場合、どちらを選択するか、というところに行き着くのです。日本精神、日本武士道、日本の軍人精神の根本は、この峻別にこそあります。自分の存在を超える絶対価値に対して、自身の肉体生命を犠牲にし得る精神性です。それを端的に現し得たのは、大東亜戦争の日本兵の姿勢です。神風特攻隊は言うに及ばず、総ての日本兵が天皇と国家に自らの肉体生命を捧げきったのです。肉体生命は死すれども永遠生き通しの魂的生命は、長足なる進歩を遂げさらに高度な世界に進まれていることでしょう。

 雅春先生は生長の家の組織を造り上げながら、その存在を日本の魂であるところの「天皇国日本」に総てを捧げられました。そこに雅春先生の真骨頂があるのです。生命の実相哲学も「天皇国日本」の真の理解のための必須条件であったかのようです。「天皇国日本」の哲学的解釈の真髄は谷口実相哲学にある、とも言えましょう。谷口先生が御自身の生命、自らが築き上げた生長の家の総力を「天皇国日本」に捧げられたところの中心帰一の姿勢に、多くの愛国日本人が感動し、進んで信徒となり、自ずからの意思で率先して中心帰一していったのです。生長の家初期において、元来半強制的中心帰一なるものは微塵も存在していなかったのです。

 谷口雅春先生は、神国日本の神々(宇宙の創造神の古事記的表現)、特に「天照大御神」、現人神としての「天皇」、その御心の御働き、導きの御働きとしての「塩椎大神」(生長の家大神)、御心の顕現、現象秩序の展開、即ち宇宙浄化の御働きとしての「住吉大神」に対して、明確に中心帰一され続けているのです。先生は終生「天皇国日本」の実相顕現に全生命を捧げられました。人類光明化運動は「天皇国日本」の実相顕現と同義であります。

 雅春先生は、中心が生長の家であるとは言われなかった。そこに美しさがあるのです。如何に社会や世界に貢献しようが、優秀であろうが、宗教的天才であろうが、多くの人々が認めようとも、自分の造り上げた組織や自分自身を中心者としたならば、もはやそれは薄汚い「迷い」の反映と成り下がってしまうのです。美しさは「無我」から生じているのです。「無我」でないものは美しくないのです。

 誠に恐れ多い事ではありますが、天皇に「美しさ」と「尊さ」を感じざるを得ないのは、「無我」であらせられるからであります。天皇ほど神々に帰一されている存在はないのであります。その御存在に日本人は中心帰一してきたのです。絶対的な「神的権威」に対してであります。そこに一切の強制も縛りもありません。

 雅春先生も常に天皇に中心帰一されていたところに、「無我」の中心帰一の姿勢を貫かれた、先生の美しさが感じられるのです。現在の三代目生長の家総裁が、最後はどんな存在に中心帰一するのか、言葉を替えれば、誰に対して自分を殺す事ができるのか? 一度聞いてみたいものであります。一体どんな返事が返って来るのでしょう。信徒幹部に対して総裁に中心帰一させることを勧める前に、総裁自身が生命を賭して帰一する対象が何であるのかを、きちっと信徒に言動一致で示す事が先決でありましょう。でなければ「権威」など微塵もないのです。

 彼の言動を見ていると、反日、反生長の家、反雅春先生・・・であります。言葉面では尤もらしき事を言っているようですが、どうも美しく感じられません。権威が全くないのであります。口では偉い事を話しても、複雑怪奇な文章を書いても、周囲の大切な人に対して悉く喧嘩を売っています。お話になりません。彼の存在は、どこからどう観ても美しくないのです。ちなみに複雑怪奇な文章を書くのは、本人が解っていない証拠です。同時に自分の矛盾点を知られたくないための手口ですよ。皆様お気をつけ下さいね。膨大なるインチキ「資本論」を書いて、小難しい用語を並べ立てて、人々を嘘で誤摩化し、世界中を共産革命しようとしたマルクス等いい例です。

 彼は何のために生きているのでしょうか? 言葉を替えれば、誰のために死のうとしているのでしょうか? 天皇の為に一切を捧げきった時、広大無辺の「無我」の美しさが初めて感じられる事など、到底彼如きには判らんでしょう。

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