15/当ブログとインターネットについて

 当ブログのあり方(姿勢)と、インターネットについての小生の考え方を書いてみました。

15-1) インターネットは「無償提供」「自由活用」の世界
15-2) ご質問はお受けできませんが、淡々と情報をアップします
15-3) 自分自身で体感体得した「内なる神の答」こそ実相の展開
15-4) インターネットはより高度な「無償の愛」の世界の映し

※文末に【まとめ】として、〈小タイトル〉を整理しました。

******************************************************************

15-1) インターネットは「無償提供」「自由活用」の世界

〈15-1-1 このブログは小生が身勝手に書いたもの、間違いも多々あります〉
 ここで改めてお断りをさせて頂きます。このサイトは飽く迄個人の趣味のブログでありまして、小生の独断と偏見で書き綴っているものであります。小生が身勝手に書いた文章でありますから、間違いも多々あるでしょうし、絶対の真理が書かれている筈もありません。しかし、それでいいのです。このブログの内容は、一人の不完全な人間の戯言(たわごと)だと思って頂くべきでありましょう。

〈15-1-2 「無条件」がインターネット〉
 インターネットの世界は元来そういう世界なのです。「玉石混淆(ぎょくせきこんこう)」それがインターネットの本質です。自由な思いに任せて、個人の心の内を吐き出し、情報を無償提供しあうところに、インターネットの値打ちがあるのです。書き手に対しても、読み手に対しても「無条件」であるのが、インターネットです。(勿論法律に触れたり、一般常識に悖(もと)る書込みは遠慮すべきは当然です。)誤解を恐れずに言えば、インターネットの世界にいちいち完璧な真理や、書込みの正確性や、思想的制限を要求していますと、誰もインターネットなど使わなくなることでしょう。そんなことではインターネットの世界は、型に嵌まった全く面白みのない既存社会と一緒になってしまいます。

〈15-1-3 相手に強制しない、強要しない、自分の考えを押し付けない〉
 表現の正確性、真理の厳格性、思想的制限の徹底追求を望まれる方々には、インターネットの世界は少々無理があるかと思われます。既存の学術学会や宗教団体のお固い世界が似合っておられるかも知れません。一般のネット掲示板で宗教の勧誘が制限されるのは、信仰者に陥り勝ちな「自分の信ずる教えの絶対性」を、ネットの世界で他人に押しつけるからでありましょう。そのような考え方(他人に自分の考え方を一方的に押しつけたり議論を強要すること)自体が、インターネットにそぐわないのではないでしょうか。相手に強制しない、強要しない(人に要請せず、自主性を重んじる)、自分の考え思想を押し付けない、というのが、インターネットの良さでありまして、そのことはインターネットに限らず、人間社会の基本的な暗黙のルールであると、小生は思っております。

〈15-1-4 「不完全な情報」でも、「絶対多数の情報」で補足される〉
 特にインターネットでは、無償で自分自身の持っている「情報」を世界に提供するということが実現する素晴らしい世界であります。お互いが持っている「情報」には限度があり、歪みがあったり、勘違いもあるでしょう。しかし、多くの人々がネットに「情報」を無償提供することによって、一人一人では「不完全な情報」だったものが、「絶対多数の情報」で補足されることになり、人類に大いなる「真理」や「真実」を提供し得ることになります。

〈15-1-5 「不完全を恐れる事無く」無償で情報を発信することが大切〉
 逆に言うと、情報発信する時は、一人一人の情報が絶対に完全である必要はないのであります。また、そんな事は誰しも不可能なことなのです。一つ一つが不完全な情報であっても、それが無数にオープンになることによって、偉大な力を発揮するのが、インターネットの凄さなのです。それこそがインターネットの最大のメリットでありましょう。従いまして、「不完全を恐れる事無く」無償で情報を発信することが大切であるのです。

〈15-1-6 個人の自発的意志によってネットを検索する「自由活用」〉
 また、その無数の情報群を利用するのは、個人個人の力量ということになるのです。これも誰かの強制ではなく、個人個人の自発的意志によって、ネットを検索し、「真理」「真実」を探し出すところに、もう一つの「自由活用」というインターネットの威力があるのです。

〈15-1-7 「無償提供」「自由活用」の精神により、世界が変わる〉
 このような世界は今までに無かったものであります。そのような素晴らしい「無償提供」「自由活用」の精神で、今後も多くの人々が積極的に「情報提供」し「自由活用」し続ければ、さらに素晴らしい「情報の共有」がなされ、人類の意識は今後急速に発展すること間違いないでしょう。それによって、社会全体が、世界が確実に変って行きます。小生はこれからも、このような素晴らしいインターネットの精神を生かして、情報発信して行きたいものと考えております。


15-2) ご質問はお受けできませんが、淡々と情報をアップします

〈15-2-1 小生は「先生」ではありません〉
 ある掲示板に、当ブログの閲覧者が小生個人に対する質問を投稿され、回答の要請がありました。さらに、その回答要請に対するご依頼を、当ブログNo.14のコメント欄に別の方から頂きました。小生はそのご依頼に対し、同じくコメント欄にて丁寧にお断りした次第であります。何故なら、小生は人様に回答するような「先生」と呼ばれるものでもありませんし、公のネットの世界で殊(こと)「生長の家」に関するご質問に対して、回答すべきなんの立場も資格も責任も持ち合わせていないからであります。唯の生長の家大好き「おじさん」なのであります。

〈15-2-2 疑問は、人に聞く事では解決にはならない〉
 お断りしたもう一つの理由に(実はこの方が理由としましては大きいのですが)、下記に詳しく書きましたが、「疑問というものは、人に聞く事では解決にはならない」という点にあります。結局は、自身の様々な「行」を通じて体感体得し「内なる神に聞く以外に道はない」と、小生の信念として持っているのであります。これが「正しい、正しくない」、「できる、できない」の問題ではないのでありまして、「小生自身の信念」でありますので、どなたにどう仰られても、どうしようもないことなのであります。何卒、悪しからずご理解頂きたくお願い申し上げます。

〈15-2-3 ご質問はお受けできません〉
 と言うことでございまして、今後も不特定の方からのご質問は一切お受けできませんので、よろしくご承知置き下さいますようお願い申し上げます。感想などは別に結構ですが。

〈15-2-4 どうしても質問をしたい方へのお勧め〉
 もしも、どうしても質問を誰かにして答えを得たいという方がいらっしゃれば、いい方法がございます。生長の家には、問題解決の専門である本部講師と地方講師の先生方が、無数におられます。その方々は、信徒の質問に答えたり、指導するのが専門の仕事であり、人一倍勉強もなさっておられます。特に本部講師の先生は、そのことで生計を立てておられ、多くの先生が一生涯をその専門職に捧げておられます。それらの方々に、どんどん質問、疑問を打(ぶ)つけて見られるのは如何でしょうか。当ブログをコピーでもされて、「先生、こんな文章を見つけました。私はここがどうも納得が行かないのですが、先生はどうお考えになられますか?」と、率直に聞かれるのがよろしいかと思います。きっと講師の方々は誠実にお答えになられると思います。

〈15-2-5 小生の書いた文章を、鵜呑みになさらないで下さい〉
 今後も小生は、ネットの世界で禁止されている違法行為の、「著作権侵害、誹謗中傷、プライバシー侵害等々」に注意しながら、小生自身の「独断と偏見」(自分の信念とするところ)に満ちた文章を書き込み続けるしかありません。これが、小生の考える人類への奉仕の一環であります。小生の書く文章には色々と間違いも、不完全も、勘違いも、迷いも混在することでしょう。しかし、それはどうかお許し頂きたいのです。でありますから、小生の書いた文章につきましては、鵜呑みになさらないで頂きたいのであります。それは大変危険なことであります。

〈15-2-6 一人一人の力は非力でも、全体の力が集まれば、偉大な力となる〉
 人の考え方はその人自身の考え方でありまして、他の人に応用できる場合もありますが、やはりそうでない場合も多々あると思うのです。従いまして、当ブログを参考にされるのは有難いことでありますが、他の多くの聖典、文献、情報も参考にされた上で、最後は内なる神の声を聞いて判断せざるを得ないと思うのであります。前述しました通り、一人一人の情報は不完全でありましても、無数の方々の智慧と情報がネットにオープンになれば、その時こそ偉大なる力、「真理」と「真実」が人類に提供されることになるのでありましょう。故に小生としましても、今後も積極的にブログに書込み「無償提供」させて頂きたいと思うのであります。一人一人の力は非力でありますが、全体の力が集まれば、偉大な力となりましょう。


15-3) 自分自身で体感体得した「内なる神の答」こそ実相の展開

〈15-3-1 何でも時間をかけて苦労して得た経験は、深い味わいがある〉
 先に《「疑問というものは、人に聞く事では解決にはならない」という点にあります。結局は自身の様々な「行」を通じて体感体得し、「内なる神に聞く以外に道はない」と、小生の信念として持っているのであります。》と書きました。これについて少し補足させて頂きます。

 小生は元来大変偏屈でありました。自分で分からない事がありましても、人に聞いたりしないのであります。それよりは、誰にも知られないように、極力自分の力で調べて、自分の頭で考えて、悩み抜いた上で、実際にやってみたりしながら、自分なりの「答」を出す方が、性分に合っておりました。

 この方法は、大変遠回りで時間のかかるものなのですが、積み重ねて行きますと、何でも自分で考えたり、自ずと行動する癖が付くようで、今でも大変役に立っているのであります。そして、それが自分の生き方になり、人生観になっていきました。考えてみますと、それでこそ、魂と精神に「力」が付くというものではありませんか。何でも時間をかけて苦労して得た経験は、深い味わいがあるものです。実際、自分自身の実力となって鍛えてくれたのが、この「自分自身でなんでもやる」という習慣だったように思います。

〈15-3-2 簡単に人から教わったものは、大して役に立たない〉
 逆に、安易に答えを求め簡単に人様から教わったものは、大して人生の役に立たぬものです。学生時代長期間黙々と勉強した者は、実力もつき、社会に出ても立派なお役に立つでしょうが、一夜漬けの勉強や、カンニング、裏口入学で学生時代を過ごした者は、実力が身に付いておりませんので、社会に出てもあまりお役に立ちません。実は、小生は学生時代、あまり勉強はしなかったのです。もっと勉強していれば、もっともっと実力がついたでしょうが、後の祭りです。しかし、自分の手を使って物を作る事、何かしら自分で考えることなどは、いつも夢中になっておりました。小生にとっては、それが非常に良かったのだと思います。

〈15-3-3 自分の「答」は自分自身で出す以外にない〉
 小生自身の経験から申しましても、実は、人に聞いた「答」というのは、「答」でもなんでもないのです。飽く迄「その人の考えている意見」にすぎないのです。自分の「答」は自分自身で出す以外にないのではないでしょうか。

〈15-3-4 人に聞くだけでは、「魂の向上」「実力の向上」を捨て去ることになる〉
 自身の生身の体験(行)で体得した「答」が、「実相」から出て来る「答」であると、小生は思っております。聖典を読む事はとても大切でありますが、それを「行」を通じて内からの自覚を得るのでなければ、「答(実相)」が既に目の前にぶら下がっておりましょうとも、齷齪(あくせく)と外に追い求めて、いつまで経っても「答(実相)」を見つけ出せないことになります。人に聞くことは簡単で直接的であり、一見合理的と思われ勝ちですが、その簡単さが故に、一番大切な「魂の向上」「実力の向上」という最も重要な要素を、捨て去ってしまうことになると思うのです。この「魂の向上」「実力の向上」こそが、此の世に生を受けた目的でありますから、実に勿体ない限りです。

〈15-3-5 生長の家はなんでも簡単に教えすぎる〉
 生長の家もそうですが、戦後教育は安直(あんちょく)過ぎていけません。禅宗で「答」を禅師に聞こうものなら、思いっきり「痛棒」を食らわされ、「まず便所掃除から始めろ!」とどやされるのではないでしょうか。生長の家の教えは実に素晴らしいと多くの方の知る処ですが、生長の家の足らざる処は、実はそこにあると思っておるのです。なんでも簡単に教えすぎるのです。実に立派な完璧とも言える教科書(聖典)が整っていますので、誰でも少し勉強すれば、講師になれます。講師は教科書通りに指導し回答すれば、事なきを得るのであります。それほど、生長の家の教えのシステム自体が完成されているとも言えましょう。多分これほどに完成された「宗教教義システム」は、地上初の快挙ではないでしょうか。

〈15-3-6 「答(実相)」を外に追い求めても、外には絶対見い出し得ない〉
 ですから、皆さん誰でも簡単に学ぶ事ができますので、「解ったつもり」になるのです。しかし、実は「何も解っていない」場合があるものです。真理の把握は、本来「行」を通して自身の実相世界から、自分自身の力によって持ち来さねばならないものです。知識面だけの解ったつもりでは「何も解っていない」のです。それ故「行を通して内なる神の声を聞く以外に道はない」と、小生は思うのであります。幾ら「答(実相)」を外に追い求めても、外には絶対見い出し得ないのであります。でありますから、小生は安易に「ご質問」をお受けしないのであります。

〈15-3-7 「行の継続」で成り立つ「神道」は、数千年間存立している〉
 生長の家の組織が、今いとも簡単に潰れようとしているのは、実はこういった宗教行の実践による「覚者」の養成を怠り、教義の知識面における「智者」の養成に偏り過ぎたことも大きな原因の一つである、と思われるのです。禅宗の僧侶や修験道がこれを見たら、苦笑されるかもしれません。禅宗にしても、日本神道においても、黙々と「行」を続けてこられました。どちらかと言えば、「教義」よりも、「行」を重んじていたのではないでしょうか。現に「神道」には「教義」自体がないのであります。唯あるのは、天地一切を神として礼拝する、「行の永遠の継続」が存在するだけであります。それでこそ、数千年の歴史を超えて、現在もなお立派に存立しているのではないでしょうか。


15-4) インターネットはより高度な「無償の愛」の世界の映し

 インターネットの話になりましたので、改めてこのインターネットというツールが如何に素晴らしいものであるか、ということを書いてみたいと思います。

〈15-4-1 より高度な世界に於ける「無償の愛」の概念〉
 この「インターネットの精神」と考えられる「無償の情報提供」と「己の意志による自由活用」といったものは、実はより高度な世界に於ける「無償の愛」の概念、と言えるのではないでしょうか。しかしながら、現在の地球世界に於いては、「無償提供」も「自由活用」も様々な制限によって、完全な形ではなかなか実現しておりません。こういったところに、今の地球世界の本質的問題があるとも考えられるのであります。

〈15-4-2 現地球上の大きな問題「情報の独占」を解消するインターネット〉
 現地球上で大きな問題と言えば、「情報の独占」であります。高度な情報を持った人間が、その情報を持たない人達を支配する因習が、罷(まか)り通っているのであります。ほんの一部の支配層だけが、「真理」や「事実」や「隠された計画」等を保持隠蔽している処に、最大の問題があると言っても過言ではないのです。しかし、そういった情報を誰もが知り得るようにして、偏った「情報の独占」を解消するために現れ出たツールが、このインターネットであると考えられるのです。「情報の独占」がなくなれば、支配・被支配の権力構造がなくなり、「徳」や「人望」や「愛」をベースとした「権威」に基づく、より平和的な秩序ある世界に移行されやすくなると思われるのです。

〈15-4-3 全世界を繋げ、人類を理解し、人類を愛する為のツール〉
 インターネットは全世界を繋げました。これ自体が、実に偉大なことなのです。「神の愛」は全てが元々一つであって、繋がっていることを意味しています。これを現実世界に於いても成功させたのが、インターネットなのです。インターネットは「人」と「人」とを繋げます。「人と繋がる」ということは、単に「他人を批判する」ためではなく、「他人を理解する」ためなのであります。「他人を理解する」ことによって、初めて「他人を愛する」ことができるのです。「他人を批判する」ことは決して間違いではないのです。が、正確に申しますと「他人の行っている迷いを批判する」という意味でなら、正しいと思うのです。「罪を憎んで人を憎まず」の諺(ことわざ)の通りであります。兎も角も、インターネットの人類を繋げる働きは、極めて素晴らしい「愛」の反映であり、「人類を結び合わせ、人類を理解し、人類を愛する」為のツールと言えるのであります。

〈15-4-4 人類の心の中の世界を、速やかに観察できるインターネット〉
 一方で、現在のインターネットの世界は混沌としています。この混沌とした状況を見てインターネットを毛嫌いする方も多いようです。では何故、インターネットの世界は混沌としているのでしょうか。このことを少し考えてみましょう。

 インターネットが無かった過去においては、「心の世界」というものは、時間がある程度経って、この現象界に形として現さぬ限り、人間には知ることができなかったのです。しかし、インターネットの成立によって、「人類の心の中の世界を、速やかに観察することができるようになった」のです。従って、人類の心の中が争いや、憎しみや、恐怖や、物質欲や、性欲や、暴力や、支配欲や、独占欲等の「迷い」に洗脳されている間は、インターネットの世界はそれらを速やかに映し出して、混沌とした世界にならざるを得ないのです。それとは逆の想念を人類が持ち得たならば、平和で穏やかな秩序正しい整然とした世界が、インターネットの中でも映し出される事でしょう。

〈15-4-5 心の姿を観察し自己反省できる処に、「インターネットの混沌の価値」がある〉
 つまり、インターネットの混沌とした世界は、今の人類の心の中を映し出しているに過ぎません。その人類の心持ちを、吾々人類はインターネットの世界を見ることによって瞬時に知ることができるのです。自分達の心の姿を知ることによって、自己反省に役立てることができる処に、「インターネットの混沌の価値」があるのです。そうして人類の心が整って行けば、その映しである現象世界が整って行くのは当然のことなのであります。

〈15-4-6 霊界に於ける、念のフィルムの修正〉
 これは、「霊界の仕組み」に似た所があります。霊界は物質を持たない念だけの世界ですから、心で把持(はじ)しているものが、そのまま速やかに自己の周囲に映し出される仕組みになっています。同時に「類は友を呼ぶ」親和の法則により、同じ波長の霊達が集団を作っているのです。霊界では自身の心の姿を即刻観察できますので、どんな心を自分が持っているか、ということがそれで分かるのであります。「自分の心を知る」ことによってはじめて反省でき、修正を行えることになります。

〈15-4-7 因果関係を特定しづらいところに、物質界に於ける生活の難しさがある〉
 それに対して物質界の場合は、かなりの時間の経過を経ないと、心の状態が映し出されません。従って、自分の心の中に把持している姿がなかなか分からないのであります。時間の経過の間に、自分が何を把持していたのかさえ、忘れてしまう事もしばしばであります。原因(心に描いた念)と、その結果(現象に現れた姿)との因果関係を明確に特定しづらいところに、「物質界に於ける生活の難しさ」があるのです。

〈15-4-8 インターネットに於ける、念のフィルムの修正〉
 インターネットの世界というのは、この「霊界」の仕組みに極めて似ていると考えていいと思います。心で把持しているものは、時間が経てば、必ず物質界に映し出され現実化されるが故に、悲惨な事件も後を立たないのであります。が、例え一時的に心で「迷い」を描いたとしても、その「迷い」の存在に気付いて、「念のフィルム」に修正を加えさえすれば、物質世界に投影されることはなくなるのであります。

〈15-4-9 不完全な書込みを客観的に見て、「心の設計図」を修正すればよい〉
 そこにインターネットの活躍の場があるのです。インターネットに書き込まれた「率直な想い(本音)」には様々な「迷い」も混在していることでしょう。しかし、それでこそいいのです。それを客観的に観察することによって、「心の中の迷いの存在」を知ることができれば、「心の設計図」を何度でも書き換えることができる訳です。それを繰返すことによって、「心の設計図」に修正が加えられ、「迷い」が捨て去られ、より完全なる「心の設計図」が仕上がることになるのです。そうすれば、物質世界が自然に整って来るのであります。

〈15-4-10 人類の魂の成長の為に、インターネットは極めて有力な武器となる〉
 以上が、小生のインターネットに対する考え方であります。人類全体のさらなる魂の成長の為には、実はインターネットというツールが、極めて有力な武器であるということを、いずれ人類は気付くことになるであろう、と信じているのであります。しかし、インターネットが地球という星に誕生したのは極最近のことであり、まだ、2・30年ほどしか経っていないのです。爆発的に普及し始めたのが、この10数年でありますから、まだまだ人類はこのツールの素晴らしさに気付き切っていないと言わざるを得ません。そのうち弥が上にもその素晴らしさを知り、高度な活用をするように定められていると思われるのです。

〈15-4-11 「物質有り」の「迷い」の払拭は、物質中心の世界では巧く行かなかった〉
 過去の地球世界では、どうしても物質や金銭や条件や打算や欲や強要や支配・被支配というものを前提に、生活せざるを得なかった要素が強すぎたのです。それらの考え方は、全て「唯物論」から発しているのであります。「物質有り、肉体有り」と執着するが為に、「物質、金銭、条件、打算、欲、強要、支配・被支配」等々の「迷い」が出て来るのであります。この「物質有り」の「迷い」を払拭することは、過去の物質中心の世界では、なかなか巧(うま)く行かなかったのであります。

〈15-4-12 悟りに導く三大ツール〉
 それを「思想、宗教、哲学の面」から、「物質無し」「実相独在」を説き打破せんとするのが、生長の家を初めとする様々な「宗教や神霊科学」であります。そして、「無償の情報提供と自由活用、念のフィルムの修正システム」で応援しようとしているのが、「インターネット」であると考えられるのです。さらに「現象の空しさの体験」を通して「物質無し」を実感させる働きが、今まで何度も書き綴りました「観世音菩薩(因果の法則システム)」と考えられます。神様は、これら叡智を尽したシステムを活用して、吾々人類を手取り足取り導いて下さっておられるのでしょう。

〈15-4-13 霊的文明が到来する地球人類への心の準備〉
 インターネットの世界では、物質的なものに拘束されず、全ての人間が情報を無償提供し合い、同時に無償で情報を活用できるだけでなく、「人類の心が把持している念」を客観的に知ることにより、「念のフィルムの修正」をし易くしてくれているのであります。このような世界は、過去の地球上には全くなかったのであります。何故、この21世紀に入りインターネットが地上に現れたのでしょう。小生が考えますに、世界の物質文明が飽和時期に入り、物質文明の「迷い」つまり欲や金銭や条件や他人への束縛、強制、独占等という、本来実相世界には存在していない概念を、速やかに払拭させる為の、神様からのプレゼントでありましょう。そろそろ地球にも霊的文明が到来するので、人類に心の準備をさせるためのものであると、小生は思うのであります。

〈15-4-14 インターネットも「神様の無償の愛」の現れ〉
 こんな素晴らしい概念を持つインターネットでありますから、是非共その中だけでも、「人に対する束縛」をなくし、情報の提供に於いても、活用に於いても、「無償(愛)」という高度な概念で、運用したいものであります。そうすることによって、通常の地上生活でも、より高度な「無償の愛(神)」を実践できる世界が、徐々に成就することになるのでしょう。「生長の家の人類光明化運動」も、「インターネットの無償の情報提供と自由活用、念のフィルムの修正システム」も、「観世音菩薩の因果の法則による念の修正システム」も、全ては「神様の無償の愛」の現れでありまして、それらが相まって、地上世界にも「神の実相世界」が速やかに顕現するに違いないと信ずるのであります。


******************************************************************
【まとめ】15/当ブログとインターネットについて

15-1) インターネットは「無償提供」「自由活用」の世界
〈15-1-1 このブログは小生が身勝手に書いたもの、間違いも多々あります〉
〈15-1-2 「無条件」がインターネット〉
〈15-1-3 相手に強制しない、強要しない、自分の考えを押し付けない〉
〈15-1-4 「不完全な情報」でも、「絶対多数の情報」で補足される〉
〈15-1-5 「不完全を恐れる事無く」無償で情報を発信することが大切〉
〈15-1-6 個人の自発的意志によってネットを検索する「自由活用」〉
〈15-1-7 「無償提供」「自由活用」の精神により、世界が変わる〉

15-2) ご質問はお受けできませんが、淡々と情報をアップします
〈15-2-1 小生は「先生」ではありません〉
〈15-2-2 疑問は、人に聞く事では解決にはならない〉
〈15-2-3 ご質問はお受けできません〉
〈15-2-4 どうしても質問をしたい方へのお勧め〉
〈15-2-5 小生の書いた文章を、鵜呑みになさらないで下さい〉
〈15-2-6 一人一人の力は非力でも、全体の力が集まれば、偉大な力となる〉

15-3) 自分自身で体感体得した「内なる神の答」こそ実相の展開
〈15-3-1 何でも時間をかけて苦労して得た経験は、深い味わいがある〉
〈15-3-2 簡単に人から教わったものは、大して役に立たない〉
〈15-3-3 自分の「答」は自分自身で出す以外にない〉
〈15-3-4 人に聞くだけでは、「魂の向上」「実力の向上」を捨て去ることになる〉
〈15-3-5 生長の家はなんでも簡単に教えすぎる〉
〈15-3-6 「答(実相)」を外に追い求めても、外には絶対見い出し得ない〉
〈15-3-7 「行の継続」で成り立つ「神道」は、数千年間存立している〉

15-4) インターネットはより高度な「無償の愛」の世界の映し
〈15-4-1 より高度な世界に於ける「無償の愛」の概念〉
〈15-4-2 現地球上の大きな問題「情報の独占」を解消するインターネット〉
〈15-4-3 全世界を繋げ、人類を理解し、人類を愛する為のツール〉
〈15-4-4 人類の心の中の世界を、速やかに観察できるインターネット〉
〈15-4-5 心の姿を観察し自己反省できる処に、「インターネットの混沌の価値」がある〉
〈15-4-6 霊界に於ける、念のフィルムの修正〉
〈15-4-7 因果関係を特定しづらいところに、物質界に於ける生活の難しさがある〉
〈15-4-8 インターネットに於ける、念のフィルムの修正〉
〈15-4-9 不完全な書込みを客観的に見て、「心の設計図」を修正すればよい〉
〈15-4-10 人類の魂の成長の為に、インターネットは極めて有力な武器となる〉
〈15-4-11 「物質有り」の「迷い」の払拭は、物質中心の世界では巧く行かなかった〉
〈15-4-12 悟りに導く三大ツール〉
〈15-4-13 霊的文明が到来する地球人類への心の準備〉
〈15-4-14 インターネットも「神様の無償の愛」の現れ〉

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 4

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

この記事へのコメント