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zoom RSS 23/今、生長の家に関わる人たちは何をすべきか・・・

<<   作成日時 : 2016/06/17 07:00   >>

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 「現生長の家教団」において、奇妙な現象が起り始めたので久しぶりの投稿となります。

 2016/5/29の大阪教区の講習会で、生長の家現総裁が直接「安倍政権批判」を公衆の面前で話したということで、ネットを騒がしています。引き続いて6月に入り、世界聖典普及協会から『日本会議の研究』の頒布が開始され、生長の家教団組織をあげて、この書籍を大々的に頒布することとなり、生長の家関連の掲示板は大騒ぎになっています。

 さらに6月9日生長の家の公式ウェブサイトにて、「与党とその候補者を支持しない」との声明が出されました。ここには《来る七月の参議院選挙を目前に控え、当教団は、安倍晋三首相の政治姿勢に対して明確な「反対」の意思を表明するために、「与党とその候補者を支持しない」ことを6月8日、本部の方針として決定し、全国の会員・信徒に周知することにしました。》とあり、「反安倍政権」を教団として明確に宣言し始めました。

 ここに「現生長の家本部」自らが、「反安倍政権」であることを社会に正式に発表し、自らが「反日左翼的勢力」と歩調を同じくする団体、と受け止められても仕方がない状況に置いたといえます。ネット民に限らず、生長の家の良識ある信徒は、これに黙っているわけがありません。これでも黙って盲目的に生長の家本部方針にしたがって、その「本部指令」を鵜呑みにしている者はもはや、比類のない愛国者でいらっしゃった谷口雅春先生に、弓を引く者と言わねばならないでしょう。今回の現総裁の言動と本部方針は、全ての生長の家信徒に対する「踏み絵」と言えるでしょう。

 現総裁と本部方針に迎合しようとも、谷口雅春先生に弓を引こうとも、原則その人の自由であります。しかし、本人が下したその決断と行為は、本人自身がその結果に対する責任を最後まで負わねばならないのです。これは致し方ないことです。もはや「生長の家本部の指令」「生長の家現総裁の思想」の問題だけでは済まされなくなったと言えます。その方針と指令に対して「肯定する」か、「否定する」かは、それを受け止める幹部、信徒一人一人の問題と化しています。

 疑問を持ちながら嫌々であれ、本部の指令に従う者は、本人自身の自主的判断による決断であるが故に、それを受容した人は、それなりの「責任」を自らが負わねばなりません。人間は皆神の子≠ナありますから、全ての人は自主性を持つと同時に、「自らの行為」に対しての「全責任」を負うのは、当然過ぎる程当然なことであります。それが「因果の法則」の大原則であることは、生長の家を学ぶ者にとっての「イロハ」です。その覚悟を持って、今後の選択を為さねばなりません。「因果眩まさず」です。


 特に「生長の家総裁」と「生長の家白鳩会総裁」の責任は極めて重いことは言うまでもなく、生長の家本部の首脳陣である「生長の家参議長」「生長の家理事長」「生長の家参議」「生長の家理事」の責任は重大と言えます。勿論彼等は既に「自己の決断の責任を自らが負う」という、最も基本的な常識≠ヘ承知の上での選択であると思います。今までの教団運営、今回の方針発表、今後の運動指令に対して、以後どのような「社会的結果」が現れようが、それを決定した「生長の家総裁」「生長の家白鳩会総裁」「生長の家参議長」「生長の家理事長」「生長の家参議」「生長の家理事」の人達は、その結果責任を自ら負わねばなりません。この事は如何なる社会でも如何なる組織においても当たり前なことであり、改めてここで指摘するには及びません。

 さらに、この『日本会議の研究』の頒布を決定した世界聖典普及協会の理事長、理事にも当然、その決定に対しての責任がつきまとうことでしょう。さらに、全国各教区の生長の家教化部長は、本部方針の教区組織への指示の要として、重大な責任を負う事になります。相愛会、白鳩会、青年会、講師会、栄える会、生教会等の長も、この本部方針をそのまま下部に伝達し、指示するのであれば、それ相応の責任を伴うことになります。生長の家の本部講師、本部講師補も練成道場等で、一般信徒に対して講話、指導をする立場ですが、責任は常につきまといます。それは至極当然なことであり、ここでわざわざ語るには及びません。

 たとえその結果責任が悲惨なものであっても、自分自身が責任を負うしかないのが、この世界の基本ルールであります。それは「因果の法則」という心の法則だけでなく、「何らかの思想」を宣布することによって、もしも人々(信徒)をして「国家破壊」の方向に導くことになった場合には、さらに深刻な事態が想定されるでしょう。それが万が一、他国との関係で日本国に甚大な損害を与える結果を引き起こした場合、日本国と一億国民に対する「刑事責任」も、一人一人について回る可能性が考えられるでしょう。

 これを簡単に例えれば、自動車運転をしていて、安全を怠った運転や、居眠り脇見運転によって、人身事故を引き起こした場合の刑事罰に似ています。たとえ本人の意志に反した「過失」であったとしても、人身事故を引き起こした事実(結果)があれば、「自動車運転過失致死傷罪」の刑事罰を受けることと同じです。勿論、その事故が意図的な犯罪性を帯びていれば、さらに重い刑事罰を受けねばならないでしょう。

 今回、現生長の家本部方針として、共産党、民進党(民主+維新)、社民党、反日マスコミ、反日学者等の反日左翼勢力の一翼を担うことを、自ら社会に宣言することとなりました。この宣言は、生長の家公式ホームページのみならず、6月11日の「朝日新聞デジタル」において、《「生長の家」、参院選で与党を支持せず 安倍政権を批判》の記事が発表されたことにより、生長の家内部、一部の掲示板を越えた一般社会的事実として、認識されています。

 当然、政府、公安、警察当局も、これらの情報を生長の家の公式メッセージとして受け取り、今後の社会秩序保全の判断材料とすることは十分考えられるでしょう。善かれ悪しかれ、一人一人の国民や全ての法人は、国家の法律の制約下に置かれ、必要に応じて監視されていることは、常識であります。


 話は少し飛びます。
 日本は戦後70年「スパイ天国」と揶揄されつづけてきました。日本中の様々な組織、団体、企業、学校等に「反日国家」からのスパイや工作員が暗躍していることは周知の事実です。勿論、宗教法人もその例外ではありません。逆に宗教法人は、「法的束縛」と「国家からの監視」が緩いために、「反日スパイ」や「反日工作員」の温床≠ニなっているケースが山積しています。

 まだ記憶に新しい「オウム真理教」テロ事件は、宗教法人の奥に隠されている「日本国家破壊工作」の陰謀が隠されていたものと考えられますが、様々な宗教の内部に「反日スパイ」「反日工作員」が入り込んで、「宗教家」になりすまして組織を蝕んでいる可能性が色々と指摘されていることは、多くの人の知る所です。その多くは、中共(中国共産党)と韓国、北朝鮮からの「反日スパイ」「反日工作員」であるとも言われています。その実体を正確に掴む事はなかなか出来ないでしょうが、政府・公安当局の監視が今後厳しくなるのは当然と考えられます。

 2009年9月から2012年12月までの三年三か月政権を取った「民主党政権」は、連合、日教組、在日等反日勢力をバックにした「韓国の傀儡政権」であったことも、今では国民に知れ渡っています。それがバレたこともあってでしょう、今年になって急遽「民進党」と名前を変えています。「民主党」では選挙を戦えないという判断が裏にあることは見え透いています。日本人にして旧民主党の民進党に期待を寄せる人は、もはやいないでしょう。

 日本共産党に至っては、今でも「共産革命」を目指しており、中国共産党との深い繋がりの中で、反日勢力の日本における中核として、公安の監視対象となっています。政府は今年3月22日の閣議で、共産党について「現在においても破壊活動防止法(破防法)に基づく調査対象団体である」との答弁書を決定した、ということで話題を呼びました。


 今後万が一、それら反日勢力の裏に暗躍する、中共、韓国、北朝鮮に対する利敵行為(領土侵犯、国家間紛争、戦争が発生した場合の利敵行為)が表面化した場合は、即刻刑法の「外患罪」の対象となり得る可能性を秘めていることは、ネット社会での常識になりつつあります。

 事実「首相官邸メール」にはこの一年、日々大量の「外患罪通告」関連のメール投稿がなされているのは、知る人ぞ知る事実です。小生は法律の専門家でもなければ、警察、検察関係者でもありませんので、「外患罪」適用の条件は分りません。詳しくお知りになりたい方は、法律専門家、警察、検察当局に直接聞かれれば良いと思います。それ以前にネットで「外患罪適用」等で検索すれば、色々と情報収集は可能でしょう。

 「知って犯す罪より、知らずに犯す罪の方が大きい」とは阿難に対する釈迦の指導と言われています。生長の家の幹部なら誰でもが知っている仏教逸話です。「無智(無明)」こそが「迷い」です。その「迷い」を払拭するには、「真理」と「真実」を知ること以外に道≠ヘありません。勇敢に「真理」と「真実」に向き合う決意が求められているのです。自ら「真実」に眼を閉じる者は、「迷い(無明)」の穴に落ちる他はないでしょう。逆に「迷いの暗がり」から脱するには、「真理」と「真実」に眼を開く以外に道≠ヘないということです。

 「外患罪」という刑法の意味は簡単です。近い将来、中国、韓国等からの日本領土侵犯、国家間紛争、戦争が発生し、敵国に対する「利敵行為」が認められた場合に、「刑事告発」される可能性があるということです。それが受理され、「反日利敵活動した」と見なされた場合には、刑事告発された者は、「外患罪」の刑事事件として処罰の対象となり得るということです。

 「外患罪」の話題はこれくらいにしておきますが、要は中共や韓国等のスパイ・工作員による「反日工作活動」の片棒を担ぐことをしなければいいだけのことです。そのような反日破壊工作に瞞されることなく、日本を愛する谷口雅春先生がお説きになられた真の「生長の家」の教えに沿って、明るく爽やかに「人類光明化運動」を進めればいいだけのことです。


 話を元に戻しましょう。
 しかし、現在の「生長の家本部・組織」では、本来の「生長の家」の教えが歪められ、全く違った教えに改悪されてしまっています。「本部に言われたから・・・」「総裁の指示だから・・・」という言い訳はもはや通用しません。子供であるまいし、責任ある立派な大人の集団である生長の家組織にあって、その構成員一人一人の「責任が問われる」ことを肝に銘ずべきであります。

 「本部の指示に対して自分が賛同するなら」そのままそれに従えば良いでしょう。「現総裁と本部決定」に賛同する者は、堂々とそれを主張すればいいのです。しかしその結果については、各人が背負わなければならないことを決して忘れてはなりません。

 それとは別に、「本部の指示に対して自分が不本意なら」従わなければいいだけのことです。唯それだけの事に過ぎません。もし、不本意ではあるが、「何らかの理由」で現総裁と本部方針に従い、多くの信徒に対して「本部方針」を指示する運動に加担したとしましょう。それはたとえ「不本意」であろうがなかろうが、「運動に賛同し推進した行為」という事実だけが残るのです。後になって言い訳は効かないことを知っておくべきです。その責任は自分自身が負わなければならないのです。

 生長の家組織において本部方針に反論した場合、二言目には次の様に諭されるでしょう。《生長の家大神−総裁・副総裁−御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない》と。又最後には「中心帰一」という言葉を、金科玉条の如くに持ち出して説得されるに違いありません。

※「中心帰一」については、生長の家における重大事項です。これについては、以下を参照下さい。
【4/中心帰一 その一/現象の迷いの否定を通さない「中心帰一」は中心帰一ではない】http://56937977.at.webry.info/201406/article_1.html
【5/中心帰一 その二 / 「菩薩は何を為すべきか」第九条】http://56937977.at.webry.info/201406/article_2.html
【6/中心帰一 その三/天皇に対する中心帰一】http://56937977.at.webry.info/201406/article_3.html
【7/ 中心帰一 その四 / 中心帰一の理念と「天皇」への展開】http://56937977.at.webry.info/201406/article_4.html

 それらの言葉の暗示にかかって、「自分の内なる神を殺して」まで、他人(現総裁・本部決定)に従いたい者は、それはその人の自由ですから仕方のない事です。そのように信徒を束縛する者は勿論大問題ですが、それを鵜呑みにして従う者も問題と言わざるを得ません。

 神が「自分の外にある」と信じている者は、他人(現総裁・本部決定)の指示に従って、他人の決めた人生を歩めばいいでしょう。しかし、そこには、「自分(内なる神)らしさ」は生まれて来ないのです。その人達は、「神は自身の内に実在している」という生長の家の根本真理をまだ自覚し得ていない人達と言えます。残念ではありますが、それも仕方がないことであります。

 しかし、心の中で、「これはおかしい」と感じる人は、「内なる神の囁き」が聞こえている人達と言えます。その「囁くような声なき声」こそ無視すべきではありません。何故なら「神の声」は、他人(外部)から聞こえて来るものではないからです。「神の声」は「内なる静かな囁き」です。その「声なき声」は、ほとんど無視し得るような些細な感情にすぎません。つまり、その「声なき声」は強制力を持って自分に迫って来る類いのものではないということです。

 「声なき声」を静かに聞いて、「自分自身で決断する」決意が必要なのです。誰に相談する必要もありません。ただ、「内なる神の声」を聞けばいいだけです。「最後の決断」は自分自身が為さねばならないのです。自分自身が「断固たる責任ある決断」を発することを、「内なる神」はずっと静かに待っているのです。

 その「自分の責任ある決断」こそが、人生の生きる意義と言えましょう。「天(神)は自ら助くる者を助く」という諺があります。「常に人の言う事に従っているような、安易な生き方に甘んじようとする者は、神は助ける事はない」という真理を語った諺と解せます。「他人の考え意見に甘んじている人には、神の御心≠ヘ現れて来ない」ということを示しているのです。

 人々は「声の大きな」「力のある」「権威のある」「権力のある」「有名な」人達の強制力を受け入れることに慣れきっているのかもしれません。「自分で決断しない」その方が楽なのでしょう。特に信仰の世界ではそれが顕著です。ある意味で「無我になって従う」こと自体は決して悪いことではありません。一時期「無我になる」練習として、そのような環境に身を置くことは是非共必要です。しかし、その「無我」の練習というのは、「自我」を失くす事であって、最終的に「内なる神の声」に従うための下準備に過ぎないのです。

 「無我」になり、「他者の意見」に従うのであれば、それは、本末転倒であって、却って「内なる神の声」を殺す事になります。真の信仰とは、「自我」を抹殺して、「内なる神の御心」に従う事なのです。「神の御心」は他者が与えてくれるものでないことを、断じて知らなければなりません。


 今、現象の形に現れている「生長の家教団」はバラバラに崩壊しようとしています。本当の事を言えば、現象に現れた「生長の家組織」は本来無い≠ニいうことです。今、このことを生長の家信徒全員が自覚する時期に来ている、と言えるのかもしれません。

 「生長の家」の本当の本部は「実相世界(生命の世界)」にしかないのであって、その「実相の本部」が因縁巡って現象世界に投影されたに過ぎない、ということは生長の家人であれば誰もがご存知と思います。その「現象の生長の家本部や教団組織」というものは、人々の「実相の自覚のレベル」に従って、成長したり、衰退したりしているに過ぎません。現在の「現象の生長の家本部と教団組織」は、現総裁と構成要員の「実相世界の自覚の欠如」という心の姿を、映し出しているに過ぎないと言えるのです。

 私たち生長の家の御教えを受けた者は、常に「現象を否定」し「実相を肯定」する、生長の家の根本姿勢を把持しなければなりません。それなくして「生長の家」の御教えに触れた意義があるでしょうか。「現象の迷いを否定」し「実相を肯定」する程度に応じて、現象世界に自動的にその「念の投影」が映し出されるに過ぎないことは、生長の家を学ばせて頂いた者なら周知の事実です。

 今こそ、「現象の迷いを否定」し「実相を肯定」する行≠真剣に行ずる時ではないでしょうか。その鍵は「他者の言葉」や「本部の方針」や「どこかの文章」にあるのではありません。唯一「吾が内に実在する神の声」にあるのです。その自らの内なる「使命(神の御心)を生きる」のが、生長の家人の生き方ではないでしょうか。

 お一人お一人が「神の子」なのです。それどころか、お一人お一人が「神様」でいらっしゃるのです。最後に、谷口雅春先生に天降った神示の内の二つの抜粋を掲載して筆を擱きます。

 《今は過渡時代であるから、仮相の自壊作用として色々の出来事が突発する。日支の戦いはその除幕である。神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相打って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起るであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。》(昭和7年1月11日神示)谷口雅春著『声字即実相の神示』より一部抜粋

 《いま皆のものは一刻といえども乱を思わない時とてない。逆の精神波動が積り積って、汝らの世界はもう累卵の危ぶさである。近いうちに汝らの世界には一大変動が来るであろう。迷いの自壊作用である。◯◯は◯◯◯と戦わねばならぬ。神はその時の惨害を出来るだけ少くするように努力しているが、人間の方でもその惨害を出来るだけ少なくするように協力するよう頼む。協力と言うても何も難かしいことではない。乱の中にいても心の平和を失わぬ修行をすることである。そのためには常々神想観の修行をさしてある。》(昭和6年5月30日夜神示)谷口雅春著『心の法則≠ニ平和への道≠フ神示』より一部抜粋

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