27/住吉大神の顕斎によって、既に宇宙浄化は完了した(その2)

27-14) 国家レベル、世界レベルのビジョンは誰が作るのか

 何時如何なる時にも「平常心」を保ち得るのが、生長の家人の生き方です。その平常心は、「実相を直視する」ことによって成就するものでありますが、事国家、世界の大問題に対しては、個人個人の「実相直視」の力量に差異があり、明確なビジョンの共有が難しくなるでしょう。

 その、国家レベル、世界レベルの実相直視のビジョンは、個人個人が作るのではなく、国家の理念を創作したより偉大な神的存在が創り上げるべきであるのです。それは「天照大御神」のビジョンというべきものであります。その「天照大御神」の出御に先立ちて現れ給う、「住吉大神」の働きで無くてはならないのです。

 「神が創作したビジョン」であればこそ、国家は「神国」となり、世界は「地上天国」となり得るのです。国家・世界のビジョンを勝手気ままに、「迷いの人間」が作り始めれば、「神国」も「地上天国」も実現できるものではありません。どうしても、「神のビジョン」に委せねばならないのです。

 勿論もっと小さな個人的ビジョンにおいても、全く同じ事が言えます。個人の「迷い」に基づいたビジョンを採用すれば、その人の人生から「神性」は消え去り、混乱の生活を送る事になります。国家、世界の問題に限らず、どんな小さなことにおいても、吾々は「神のビジョン」を採用する必要があるのです。


27-15) 住吉大神は「天照大御神の心の顕現」

 ここで、住吉大神の御働きについて少々詳しく説明をしておく必要があります。住吉大神とは一般的に「浄化の神」であります。その通りでありますが、もう一つ知っておかねばならない重要な点があります。それは、「住吉大神」とは「天照大御神」の「心の顕現」であるということであります。

 《「実相とは神である。あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである。これが実相だ」ここに神というのはむろん「仏」という意味も含んでいた。》(『生命の實相』20巻136頁より抜粋)これは大変有名な一節です。この谷口雅春先生に天降った「神からの啓示」によりますと、「神」と「神の心」と「神の心の顕現」が実相とあるのです。

 昭和46年に谷口雅春先生が建立された「入龍宮幽斎殿」の「神殿」の「龍宮」の扉の中に祀られている神名に、「住吉大神」の御働きの謎が隠されているのです。そこには、中央に「天照大御神」が、その脇に「塩椎大御神」と「住吉大御神」が祀られています。これが「実相(龍宮)世界」の構図であります。「天照大御神」が「神」、「塩椎大御神」が「神の心」、「住吉大御神」が「神の心の顕現」を意味しております。即ち、「住吉大神」とは、浄化の働きであると同時に、「神の心の顕現」の御働きを現していると言うことになるのです。

 実相世界とは「神」の世界であります。それは「神の心」の世界であると同時に、「神の心の顕現」の世界でもあるのです。畢竟「実相を観る」とは、「住吉大神を観る」ことなのです。具体的には「住吉大神を祈り」「住吉大神を言葉に表現し」「住吉大神を行動に現して行く」ことなのです。

※ この入龍宮幽斎殿の祭神に関する谷口雅春先生の解説は、昭和42年3月の『明窓浄机』に詳しく書かれています。ここに紹介されている「或る婦人の手紙」の一節に《実相世界、創造の神は天照大御神を御主神にそのおはたらきと致しまして塩椎大神様、住吉大神様の御三神の御名で顕わさるべきものであるという事でございます》との言葉があります。この言葉を受け、谷口雅春先生は龍宮(実相)世界の神として、上記三神を祀られたのです。


27-16) 実相世界の「神の心の顕現」が、現象世界にも映し出される時代を迎えた

 谷口雅春先生には、「塩椎大神」と「住吉大神」の二神が主に御働きになっておられます。『生命の實相』という「真理の言葉」として、お現れになったのが「塩椎大神」です。それに対して、「人類光明化運動」「宇宙浄化」「鎮護国家」の具体的活動として、お現れになったのが「住吉大神」と解せます。その元となるのは「天照大御神」であって、「天照大御神」の「心」(塩椎大神)と「心の顕現」(住吉大神)の御働きと言えます。

 谷口雅春先生は随所に「塩椎大神」と「住吉大神」の御働きを示されておられますので、両神を混同しがちでありますが、本源神の「天照大御神」の「心」と「心の顕現」の御働きの違いと解すべきであります。

 「神の心」は「智慧・理念・言葉」となって現れ、具体的には『生命の實相』等の聖典となって現れています。一方、「神の心の顕現」は愛の働きでありまして、「伝道・本部地方組織・練成道場・神社建立・政治運動・愛国運動・生命尊重運動・・・」となって、具体的に「人類を救済する働き」「宇宙を浄化する働き」「鎮護国家の働き」として、「人類光明化運動」の形を通して、人々の愛を介した運動となって現れていると解せます。

 説明が長くなりましたが、「住吉大神」の御働きが、実相世界に既に実在している「神の心の顕現」そのものであることが理解できます。その理解に立った上で、龍宮住吉本宮の顕斎の意義にもう一度触れたいと思います。「住吉大神の顕斎」が現象世界に成就した事によって、実相世界に実在せる「神の心の顕現」が、次々に現象世界にも映し出される時代を迎えたのです。

 それは「実相世界に常住せる住吉大神」が、現象世界にお現れになることであって、唯単なる人間の諸行などではありません。《神が現るれば乃ち善となり、義となり、慈悲となり、・・・・》という『甘露の法雨』の冒頭の一節の描写が、日本の国家レベル、世界レベルで成就する時代を意味しているのです。一切は「神業」なのであります。

 その「住吉大神」の御働きである「生長の家」の使命の集大成とも言えるものが、「龍宮住吉本宮の顕斎」と言えるのです。住吉大神様の「宇宙浄化」「鎮護国家」の、地上世界における御働きが始動し始めたのであります。このことは人類史上極めて重大な慶事として、明記されねばならないと言えるのであります。


27-17) 人間の役目は、既に顕現済みの実相世界を認める事

 ここで言葉のイメージから来る「誤解」を正しておく必要があります。それは〝顕現〟という言葉の使い方に関することです。

 一般的概念として、〝顕現〟とは「現象世界に現し出す」という風に使われています。しかしながら、ここで使われている〝顕現〟は、「実相世界における〝顕現〟」を意味しております。《神の心と、神の心の顕現のみである。これが実相だ》との谷口雅春先生のお悟りの言葉にある「神の心の顕現」とは、「実相世界の完全円満な至美至妙な世界」のことです。

 つまり、「実相の世界」は唯の理念的・概念的世界ではなく、至美至妙なる具体的な「顕現の世界」であることに、注目しなければなりません。即ち、「実相世界は既に〝顕現〟している」のであって、これから「現象世界に現し出すという意味の〝顕現〟」ではないということに留意すべきであります。

 得てして現象人間は、「これから実相世界を現象世界に〝顕現〟する」と考え勝ちでありますが、それは住吉大神の御働きを無視した「誤解」と言えるのです。既に住吉大神の御働きによって、実相世界では「神の心の顕現」が実在している事を認めねばならないのです。「認めたものが現れる」のが「心の法則」の大原則ですから、住吉大神様が実相世界において、既に顕現済みの完全円満な世界を、私たちが〝認める〟事が最も重要な事なのであります。

 実相世界における「神の心の顕現」を意味する住吉大神を、現象世界に顕斎したということは、その実相世界の有り様を、人々に明確に認識させる(実相を観る)意味においても、計り知れない価値があると言えます。


27-18) 住吉大神顕斎後の浄化の過程

 この「宇宙浄化」「鎮護国家」の大問題に当たって、38年前龍宮住吉本宮を顕斎され、住吉大神が地上に現れた意味は、余りにも大きいと言わざるを得ないのです。谷口雅春先生は、「天皇国日本」の国家安泰、世界平和の「実在世界」(=住吉大神)の顕斎を完成された上で、神去られました。

 「住吉大神が地上に顕斎された」ということは、即ち地上においても「既に宇宙浄化と鎮護国家が確定した」ということです。このことの意義の大きさは、強調してもしつくせるものではないのであります。この神の恩寵に思いを寄せて、感謝と安心と悦びの誠で、「宇宙浄化」「鎮護国家」の住吉大神様の御働きを見守りたいと思います。それは取りも直さず、「実相世界に既に顕現されている住吉の世界」を観続け、祝福し続けることを意味しています。

 顕斎後の世界は住吉大神の宇宙浄化、鎮護国家の御働きが展開する世界となったのです。世界が全く変ったのです。顕斎後の浄化の過程については、前述した通りであります。現在までの38年の間、様々な「迷いの顕在化」「隠蔽工作の暴露」「迷いの自壊作用」等々の浄化がなされてきました。

 数年前までの民主党政権下においては、反日在日勢力を使った韓国による、「日本乗っ取り完了宣言」まで出されるという、極めて危険な状態にまで至りました。しかし、それらの全ての「危機」と見える状況は、それまでに蓄積して来た「迷いの業」が顕在化したものであり、「迷いの自壊」の一つの過程に過ぎないことを知らねばなりません。その意味で感謝もできるのです。

 ここ数年は、日本における戦後の「問題点」が総ざらい的に指摘されてきました。安倍政権下、戦後の隠蔽と捏造の数々が暴露され、解消され始めました。同時に戦後反日在日勢力の隠されて来た悪事が、拡散されるようになり、それらを隠し続けて来たマスコミ、左翼勢力の実体を国民が知るようになりました。全ては住吉大神の浄化の働きとして、感謝できます。

 既に、マスコミの信頼は地に落ち、それに代ってネットによる情報発信と検索に、その席を譲ろうとしています。新聞、テレビ等の情報を鵜呑みにする国民は少数派になりつつあります。全ての〝迷い〟は自壊する以外にないのです。唯安心して住吉大神の浄化の御働きに感謝したいものです。


27-19) 「浄化の完成」を象徴するような「住吉大社の大神輿」の渡御復活

 最近になって一つの象徴的な出来事がありました。それは大阪住吉大社の例大祭の「大神輿」の復活です。全国2000以上の住吉神社の総本社住吉大社の例大祭が、7月31日に執り行われました。この当日は、日本の首都、東京都知事選の投票日と重なりました。

 戦争突入の昭和16年から大和川渡御が中止され、以後当時の「大神輿」がお蔵入りとなっていました。しかし今年の例大祭の翌日の神輿渡御(みこしとぎょ)では、戦後70年の時を経て、当時の「大神輿」の美しい姿が見事に復活したのです。この「大神輿」は大日本帝国憲法の制定論議が高まった、明治14年に奉納されたもので、「住吉祭の象徴」として親しまれてきたものでした。

 この「大神輿」の70数年に及ぶお蔵入りは、日本の実相「天照大御神」の〝忘却〟と〝隠蔽〟であり、「天照大御神」の「心の顕現」にして浄化の神である、「住吉大神」の〝忘却〟と〝隠蔽〟の象徴とも解せます。

 日本の実相が隠蔽された戦後70年が過ぎ去り、今年「住吉大社の大神輿」が美しい姿で復活して、戦前と同じ様に「神輿渡御」が行われたことは、「住吉大神の浄化の完成」の象徴と言えるのではないでしょうか。

 実に、これの意味する所は大きいと言えます。何故ならば、全国2000社にのぼる住吉神社の総本社の住吉大社の例大祭の当日に、日本の首都東京の知事選挙があったということは、政治の世界、特に日本の中心東京都政から、日本全国に向けて「住吉大神の浄化の完成」が広がる、という意味にも解せるのであります。今後急速に政界浄化は進み、みるみる間に〝迷い〟が消え去って行くことでしょう。


27-20) 住吉大神の浄化の象徴としての都知事選

 この世界は象徴の世界です。全ての出来事は「実相世界」と「念(心)の世界」の象徴と言えます。この世界の現れている様々な出来事を象徴として観察する時、その奥に潜んでいる「実相世界」と「浄化の過程」を読み取ることができます。

 今回の都知事選においては、反日左翼野党統一候補の鳥越氏は、当初与党分裂の中、圧倒的な認知度とビジュアルの効果もあって、当選最有力候補と見られていました。しかし政策議論からの逃避、女性問題を始めとする疑惑、認知症が如き言動を露呈し、野党連合に拘らずたったの135万票弱、小池候補にダブルスコア以上の大差をつけられ呆気なく落選しました。一方自民党、公明党推薦の増田候補は、本人の過去の経歴に対する不審に加え、過去の反日韓国寄り発言、内田東京都議に象徴される自民党都議連の腐敗が明るみに出て、110万票以上の大差をつけられ落選しました。

 さらに小さいことの様ではありますが、今回の都知事選では桜井誠候補が、日本の戦後の反日在日問題を、選挙戦の17日間を通じて都民に直接訴え、それらの膨大な演説の数々が、現在ネット動画の形で拡散し続けられています。これも極めて象徴的出来事と言えましょう。今までの選挙演説に、「在日問題」を真正面から訴えた候補がいたでしょうか。今までは全くあり得なかったのです。というか、できる状況ではなかったのです。

 選挙戦で「在日問題」「不法移民問題」「違法賭博パチンコ問題」「外国人マフィア問題」を真っ正面から取り上げ、11万票以上の得票を得たことは、都民だけに限らず、日本国民にそれらの問題意識が浸透し理解され、暴露されて来たことを物語っています。この勢いは今後益々強まるでしょう。

 現実的に首都の都知事選において、これ程のタブー問題が堂々と表明されたという事実は、一体何を象徴しているのでしょうか。桜井氏の訴えた内容は事実以外のなにものでもありません。同時に氏は「日本國体護持」の立場から思想展開しており、人々の愛国心に火をつけています。もはや戦後の反日左翼の反日隠蔽破壊工作は、完全に終焉を迎えたと言うべきです。

 さらに、桜井氏等は末端候補と呼ばれ、全くと言っていい程テレビ・マスコミの露出がない中、ネット動画による拡散が唯一の頼りでした。このことも戦後の反日マスコミの偏重報道として、国民に広く認識される結果となりました。

 このように今回の東京都知事選は、今迄の選挙では見られなかった反日左翼勢力の浄化、与党内の反日・既得権益に群がる勢力の浄化、並びに在日問題等の戦後隠蔽されていた事実の暴露と、マスコミの偏重報道等がさらけ出された選挙となりました。これらは住吉大神の浄化の一つの象徴とも解せます。


27-21) 偏見なき実相の眼で観察すれば、罪(迷い)は暴露され消え去る

 このようにして、様々な政治的、社会的、国際的動きが、「宇宙浄化」「鎮護国家」の方向に向けて、展開していると言えるのです。「実相世界が現象世界に映し出される」段階では、必ず「迷いの暴露(顕在化)」と、「業の自壊」「迷いの浄化」作用を伴います。

 「潜在している〝迷い〟」はそのままでは気付く事も無く、否定し得ない〝迷い〟は消す事もままなりません。「顕在化」して初めて人々の意識に上り、その〝迷い〟を否定することができるのです。

 そして、「顕在化」された〝迷い〟は、人々が否定する事によって、「この世界から消え去る」ことになります。これらの働きが行われているのが、この20年、30年の日本と世界の姿と言えるのです。特に日本の姿がそれです。

 私たちはこの既に地上世界に顕斎された、住吉大神の無礙自在の「宇宙浄化」と「鎮護国家」の御働きを直視すべきであります。その直視を怠ることは、余計な「不安」と「動揺」をもたらし、折角自壊されかかっている「迷い」を、再構築することになり、事態を無駄に混乱せしむることになるでしょう。

 先ずは「隠されて来た事実の暴露」によって、「迷い」や「隠蔽」や「捏造」の正体を明らかにせねばなりません。その上で暴露された「迷いの否定」をすべきであります。暴露され否定された迷い(罪)は、天地の摂理に基づいて自壊することになります。

 『懺悔の神示』にある《暴露せざるものの罪は消えず。暴露されざる暗の消えざるは当然にあらずや。》(谷口雅春著『懺悔の神示』より)に示されている様に、「罪(迷い)の暴露」がなされたということ自体が、「罪(迷い)の自壊」を現しているのです。《罪は懺悔と共に消ゆるなり。暗は光の前に暴露さるると同時に消ゆるならずや。》(『懺悔の神示』より)に示されている通りであります。

 つまり、「罪(迷い)の暴露」こそが大切なことと言えるのです。実は「罪(迷い・暗)の暴露」は、神(光)が発現することによってもたらされます。神(真理・光)が現れれば、「罪(迷い・暗)」が明らかとなるのです。

 すなわち「罪(迷い)の暴露」とは、「神(実相)の眼」をもって観察することを意味しています。「実相の眼」で万物を観察する時、真実が明らかとなり、「現象に現れた事実」をなんの偏見も無く、そのままの姿を観察する事ができるのです。

 以上の様に、「実相(神)の眼」を持って、偏見なしに「罪(迷い)の暴露」を行った後は、神の摂理によって自動的に罪(迷い)は自壊するのですから、その「罪(迷い)の自壊」はそのまま静かに放置せしむるべきであります。

 「迷い」本来無きが故に、「迷い」を相手にする必要はないのです。「迷い」を相手にして「迷い」と同じ土俵で相撲を取ることは、自らが「迷い」に落ちている証拠であります。吾らが相手にすべきは、唯「実相の神」のみであります。「神」と「神の心」と「神の心の顕現」のみであります。


27-22) 現象(歴史)とは、実相が迷を通して輝き出るときの波動紋理

 現象世界とは、「実相が現象世界に展開する」のですから、よくよく冷静に観察して「心の働き」「心の法則」その奥に実在せる「実相世界」を理解する必要があるのです。

 と同時に、《〝迷い〟と見えているものが、実は〝悟り〟が動き出し、現象化しつつある道程であるから、〝迷い〟本来無しといい得るのである。あなた達が〝迷い〟だと思っているものは、実は〝わたし〟が〝神の国〟を地上に顕現するための土台又は地盤になるための精神的基礎工事を行うために授けたところのものなのである。》(谷口雅春著『神真理を告げ給う』より)とあります様に、「迷い」の意味を知る必要があります。

 更に、「実相世界が現象化する」過程における、「迷い(罪)の暴露」とその後に続く「迷い(罪)の自壊作用」の意味を知る必要あります。「迷い(罪)」は本来無いのですから、消え去るしか仕方が無い運命にあるのであり、その「迷いの自壊(浄化)」の後に、「実相が現象世界に映し出される」(地上に天国が実現する)ことになります。

 「迷いの自壊」と「実相の現れ」のどちらが先か、という疑問が出るでしょうが、それは「コインの裏表」なのです。「現象」側から観察すれば、「迷いの自壊」と見え、「実相」の側から観れば、「実相の現れ」と観えるのです。「現象」側から見た時「住吉大神による〝迷い〟の浄化」となり、「実相」側から観た時、「〝神の心の顕現〟としての住吉大神の現れ」となるのです。どちらも「住吉大神の御働き」なのです。

 《暗は光の前に暴露さるると同時に消ゆるならずや。》(『懺悔の神示』より)と示されている通り、「神の光の進軍」が「迷い(暗)の破壊」です。このように「神の実相世界が地上に現れる」過程において、「迷い(罪)」が現れ、どういう展開の元でその〝迷い〟が暴露され、消え去って行き、その結果「地上天国」が実現して行くのか、という「壮大なる実験」を見させてもらっているということなのです。「迷いの消え方」「実相の現れ方」の研究というところでしょう。じっくりと観察したいものです。そしてその一大原理を我が物とするところに意義があります。

 谷口雅春先生の〝歴史〟に対するお考えが、はっきりと書かれている御文章がありますので、少し引用が長くなりますが、以下に転載させて頂きます。なお、ここに示された〝歴史の意味〟は、〝現象を観察する意味〟と解して差し支えないと思います。

 《そこで歴史というものは何であるか、何のために研究するのかを申上げたいのであります。歴史というものは一体何であるかといいますと、現象界に実相が如何に投影し表現されて来るかということの、その現れ方、即ち実相が現れる場合の作用、反作用という風なものを次第に追うて並べて行くことによって、その民族に如何様に実相が現れ、実相が現れんとするに当って如何に反作用を起し、自壊作用を起したかを知り、それをずっと時間的に貫いて観てそこに実相が如何なる相を以って現れるかという事を知ることによって、大宇宙に於ける日本国の位置及びその将来性を知り、現在自分が国家構成の一員として及び個人として如何に生きて行くべきものであるか、将来この世界は如何に発展して行くべきものであるかということをはっきりさせるためのものが歴史の研究であります。ですから、歴史というものは単に過去の記録を書いたという風なものではないのであって、生命の生々流動の流れの相、実相が現象界に貫いて響き出る時のその儘の相が書いてあるのであります。その相を見ることは自分自身の生命の相を見ることであり、宇宙の相を見ることであり、宇宙が、自分が、今如何に生き抜いて、今後如何に発展すべきであるかということを知ることであります。ですから、この『古事記』を研究致しますのも単に過去にこういうことがあったということであるとか、或は日本の古くからの言伝えがこうであるとか、神話やお伽噺がこうであるとか、そういう死んだような動かない過去の記述や、人の創作した物語を読むようなつもりで読んで頂いては間違で、実相が迷を通して輝き出るときの波動紋理というものを把み出さなければならない。換言すれば、吾々日本人が如何に実相を生き、如何に自壊作用と闘うて来たか、ということの記録が、この『古事記』に現れているのであります。》(谷口雅春著『古事記と日本国の世界的使命』4~6頁「歴史を研究する目的」より)


27-23) 住吉大神の顕斎は「この世界は住吉大神の世界である」との宣言

 一切の神仏、諸霊、全ての人々、並びに天地万物は、これ「天照大御神」の「心の顕現」としての「住吉大神」の化身ともいうべきものです。つまり、吾々の本質は「天照大御神」であり、「塩椎大神」として現れた「神の心」であり、そして「住吉大神」として現れた「神の心の顕現」の分け御霊であるのです。

 吾々の為すべきは、「天照大御神」と「塩椎大神」と「住吉大神」に対して、即ち「実相世界(吾が生命の実相)」に対して、精神を統一する(心を集中する)ことが第一であり、その実相の眼を通して、現象世界(心の反映の世界)を偏見無しに観察することが求められているのです。

 谷口雅春先生が「塩椎大神」と「住吉大神」の化身であらせられたと同様に、吾々一人一人も「塩椎大神」と「住吉大神」の化身そのものであるのです。しかし、それを自覚し得ない人は、その「不自覚」の妄念の縛りによって、その実相の神性が現れないだけであります。

 「人間は神の子」であります。「神の子」とは「神の凝(こ)」であり、「神の凝(かたまり)」とは「神の心の顕現」(住吉大神)とも解せます。即ち「人間は住吉大神」そのものなのです。吾々一人一人が住吉大神であり、塩椎大神であることを、吾らは自らに宣言せねばならなかったのです。

 「住吉大神が現象世界に顕斎された」という事は、「住吉大神が現れて宇宙が浄化される」ことを意味しています。つまり、「人類の実相がそのまま現れる」ことを意味しているということです。「実相は住吉大神である」が故に、「人類の実相が現れる」ということは、「全人類が住吉大神として自覚する時代の入った」ということです。

 つまり、住吉大神の顕斎による「宇宙浄化」「鎮護国家」は、「人類は住吉大神である」「この世界は住吉大神の世界である」と宣言しているとも言えるのです。そして、そのことは「既に成就している」のであります。唯、時間空間の世界に展開するには、若干の現象的手続きを要するだけなのです。

 私たちは何も心配はありません。只管「実相を観る」ことが肝心なのです。具体的には「住吉大神」の御名を唱えて、その御働きに絶対の信頼をおいて見守り感謝することです。もし私たちに「不安」や「焦り」が出て来るとしたならば、それは、自分自身の「住吉大神様(吾が内なる実相)に対する絶対の信頼が揺らいだ」証明というべきなのです。


27-24) 生長の家立教の使命と『宇宙浄化の祈り』

 谷口雅春先生が住吉本宮顕斎に伴い祈られた、『宇宙浄化の祈り』を引用させて頂きます。ここで一つ注目したいのは、最後の「住吉大神宇宙を浄め終わりて天照大神出ましぬ」であります。既に「住吉大神が宇宙を浄め終わった」とあり、さらに「天照大御神出ましぬ」という完了の助動詞で締めくくられているのです。一切の「宇宙浄化」と「鎮護国家」は、〝既に完了している〟のです。

【宇宙浄化の祈り】

「招神歌」四首朗唱

住吉大神出でまして宇宙を浄め給う
あー、おー、うー、えー、いー、

住吉大神わが日の本を浄め給う
あー、おー、うー、えー、いー、

住吉大神ここに集まれるすべての人々の生命を浄め給う
あー、おー、うー、えー、いー、

住吉大神宇宙を浄め終わりて天照大神出ましぬ

「光明思念の歌」二回朗誦

 前述した《天照大御神の御誕生とは、日本の実相の誕生ということである。日本なるものの魂が具体的に宇宙を照らす光となるということである。この直前に、最後の浄化の働きとして住吉大神が今ここに現れ給うたという、ここに生長の家出現の真意があるのである。》(第十三回全国代表者会議における谷口雅春先生のお言葉より)にある通り、谷口雅春先生はその偉大なる生長の家出現の使命(住吉大神の顕斎)を完璧に果たされて、神去られたのです。


27-25) 「生長の家」組織は「日本の象徴」であると共に「幹部信徒の心の反映」

 「現状の生長の家総裁の反日言動」並びに、日本を蚕食する反日在日勢力や、中共・韓国・北朝鮮等の反日国家、国内の反日マスコミ、反日野党勢力等々の言動を見るにつけ、如何にそれらの大問題を解決すべきか、日々心を悩ませている生長の家の愛国者は大勢おられるに相違ありません。

 特に生長の家現総裁の反日言動の意味は、どう考えても解せません。しかし、住吉大神が顕斎され「宇宙浄化」「鎮護国家」がなされたことによる、「住吉大神の浄化の結果」としての「迷いの自壊作用」と見た場合、納得できるものがあります。それは次のような意味でもあります。

 「生長の家」は「天皇国日本」の國体護持を〝立教の精神〟に置く団体であると共に、数多くの信徒の心の集まりでもあります。故に「生長の家」の組織の姿は、「日本の象徴的存在」であると共に、「幹部信徒の心の反映」とも言えます。

 したがって現在の生長の家組織の姿は、住吉大神の浄化の結果として、幹部信徒全員と日本人の潜在意識に潜む「唯物思想の迷い」が、生長の家の組織に「顕在化」(暴露)され、「消えて行く」過程と考えられるのです。《暴露せざるものの罪は消えず》(『懺悔の神示』より)であります。これはまさしく「迷い(罪)の浄化」の必然の過程と言えます。吾々信徒の心の中にあった〝迷い〟と、日本国民の心の中にあった〝迷い〟が、住吉大神の宇宙浄化の働きによって、今消えて行く姿なのです。

 「迷いの自壊作用」を相手にせずとも、それは住吉大神の宇宙浄化の摂理にしたがって、日ならずして消え去るものです。何故なら〝迷い〟は「本来存在しない」からです。住吉大神の宇宙浄化の後には、必ず「天照大御神」が出御されることになっているのです。

 拙ブログにて前回投稿した『26/「現象の迷いの否定」と「実相の肯定」を、どのように整合性を持って両立させればいいのか』において、「一切者の自覚」と「実相の大地に降り立つ」心境で諸問題を解決する方法を書きましたが、今回は「住吉大神の顕斎」という視点から、この諸問題に迫るものとなりました。


27-26) 改めて「住吉大神の顕斎」の意義を考える

 文頭に書きました通り、この文章は『住吉大神の顕斎によって、既に宇宙浄化は完了した』という〝気付き〟から発したものでした。その気付きが何故出て来たかと言いますと、小生の心の中に『何故生長の家の多くの人達は、生命の実相の真理を知りながら、「現象の迷いの否定」と「実相の肯定」を整合性を持って両立できないのか?』という疑問が、大きな比重を占めていたからだと思います。

 それに対する答えが、前回の投稿文だったのですが、それは極めて「理論的」な解釈だったのです。理論で納得できる場合もありますが、生身の人間と言うものは決して理論だけでは納得するものではありません。その「理論的概念」というものが、「体験」や「実践」や「形」に現されて、初めて説得力が生まれ、多くの人々の「信念」となり「信仰」となり得るのです。

 そこに「体験」や「実践」や「形」に現すことの〝意味〟と〝価値〟があると言わざるを得ません。今回忽然と浮かび上がって来た気付きは、この「体験」「実践」「形」に当たるものだったと、後になって気付くことができました。

 即ち、『住吉大神の顕斎によって、既に宇宙浄化は完了した』ということは、「住吉大神の顕斎」という具体的神社に住吉大神を祀った事によって、住吉大神の「宇宙浄化」「鎮護国家」が〝形の世界〟に現れた所に、大きな意味があったのです。

 前回の『26/「現象の迷いの否定」と「実相の肯定」を、どのように整合性を持って両立させればいいのか』は、「理論的解釈」としての回答でありました。それに対して今回の『27/住吉大神の顕斎によって、既に宇宙浄化は完了した』は、「現象の迷いの否定」と「実相の肯定」の両立、という問題に対する、「感情的・信念的・信仰的解釈」と言えるものです。

 「住吉大神の顕斎」という出来事は、「実相世界が形の世界に現れた〝顕斎〟」であり、「実相世界(神)の実証(証拠)」とも言えるものなのです。そもそも「現象世界の存在意義」が、「実相世界の体験的実証」とも言えるのですから、「体験する」「形に現す」「実証する」ということには、計り知れない重みと意義があるのです。

 即ち、「真理を理論的に理解すること」(塩椎大神=『生命の實相』)はまず必要なことですが、その「〝理論的真理〟を〝体験的実証〟にまで現すこと」(住吉大神=『住吉大神の顕斎』)が是非共必要と言わざるを得ないのです。

 生長の家の「実相独在」と「現象無し」の理論的真理は、無数の人々の現実生活の光明化として「体験的実証」されてきましたが、日本国家、世界・宇宙に対しても、「住吉大神の顕斎」という形を通して、「体験的実証」がなされたところに、生長の家の偉大さが現れていると言えます。


27-27) 「住吉大神の顕斎」は、生長の家の集大成であり、実相世界の出御(完成)

 ここに「龍宮住吉本宮顕斎」後の谷口雅春先生のお言葉があります。《今、あの住吉本宮の落慶大祭を境として、世界が変貌する。それは皆さんの魂の中に、此処に世界がある。その世界が変貌しているんです。外から見たら同じ顔して、毎日、同じ世界に住んでいるんだけれども、違うんですね。もう光り輝いている。あの〝祈り合いの神想観〟を受けた人々の魂の中に、〝如意宝珠〟が輝いている。「欲せざるもの好ましからざるもの、自ら去って、欲するもの好ましきもの自ら現われて来る」---それが今なんです。そのために皆さんの一人一人の中に住吉大神の全身が宿っているのである---皆さんが住吉大神である---その皆さんが動き出すとときに、凡そあの落慶大祭に参加した人、十万人、その十万人は少ないようだけれども、それは、住吉大神の宇宙浄化の御力によって、完全に神々の復活した魂が輝いているんだから、その動くはたらきは、非常な力があるんです。》(『生長の家』誌、昭和54年3月号より)

 この宇宙は住吉大神(実相世界における〝神の心の顕現〟)が顕斎された世界です。元来、私たち人類の一人一人が「住吉大神そのものの現れ」であり、その他の何ものでもありません。元々〝現象〟も〝迷い〟も無いのです。実在するものは〝神〟のみであります。

 その〝実相世界〟に気付けばいいだけのことであります。全ての人と国家と宇宙の実相(神の心の顕現=住吉大神)を眩ましていた、〝迷いの暗雲〟を浄化し、人と国家と宇宙の実相(神の心の顕現=住吉大神)を現し給うたのが、「住吉大神の顕斎」ではないでしょうか。

 実相世界に既に顕現せる住吉大神が顕斎されたことにより、実相を眩ます全ての〝迷い〟は浄化され、住吉大神(実相世界における神の心の顕現)そのままの世界が、地上にも成就する時代に入ったと言うべきです。

 生長の家の根本は、「現象(迷い)無し」「実相独在」「天皇国日本(中心帰一世界)の実相顕現」にあります。「住吉大神の顕斎」は、この「現象無し・迷い無し(宇宙浄化)」「実相独在(住吉大神〝神の心の顕現〟の出御)」、「鎮護国家(天照大御神〝中心〟の出御)」という生長の家の真理の具体的顕現であり、「天照大御神を中心とした住吉大神の実相世界」の地上世界への出御(完成)と解せるのです。

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