30/経本『観世音菩薩讃歌』を考察する

 生長の家現総裁谷口雅宣氏が書いた『観世音菩薩讃歌』という「経本」があります。小生は全く興味がなかったのですが、ある時、この経本を聞く機会があり、その内容に違和感を感じたので、ネットで調べてみました。案の定、谷口雅春先生の『甘露の法雨』などの聖経とは雲泥の差がありましたので、以下に整理いたします。

 聖経『甘露の法雨』は、まさしく真理であります。しかし、『観世音菩薩讃歌』はそうでないことをここに証明したいと思います。

                        ©2017あまむし

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30-1) 『観世音菩薩讃歌』の約三分の一は「物質の法則」

〈30-1-1 〝実在しない世界(現象世界)〟について書かれた「経本」〉
 生長の家には谷口雅春先生が世に出された、『甘露の法雨』という実に立派な聖経があります。ところが、最近の組織では、その『甘露の法雨』があまり使われなくなって来たようです。『甘露の法雨』の著作権が別団体にあったためということで、その代りとして、現総裁谷口雅宣氏が執筆した二つの「経本」が使われている様です。この「経本」の一つ『観世音菩薩讃歌』を読んでみますと、「物質の法則」について書かれていることが分ります。谷口雅春先生の『甘露の法雨』は、〝実在する世界〟について書かれたものであるのに対して、現総裁の谷口雅宣氏の『観世音菩薩讃歌』は、〝実在しない世界(現象世界)〟について書かれたものであるということです。

〈30-1-2 文章の形式は、『甘露の法雨』に極めて似ている〉
 谷口雅宣氏のブログ『唐松模様』に『観世音菩薩讃歌』がありました。そこには、「法則」「秩序」「自由」「善」「愛」「祈り」「観世音菩薩」という七つのタイトルが付けられています。それらしい事が書いてありまして、文章の形式は、『甘露の法雨』に極めて似ています。現物の「経本」も「聖経」と全く同じ形をした折り本式です。

〈30-1-3 『観世音菩薩讃歌』の約三分の一は「物質の法則」〉
 「法則」と「秩序」の内容は、ほとんどが「物質の法則」について書かれています。次の「自由」の前半32行目までは、やはり「物質の法則」について書かれています。その後の33行目からは、一転して「心の法則」について書かれています。つまりこの「経本」の約三分の一の冒頭部分が、「物質の法則」について書かれていたのです。


30-2) 『甘露の法雨』の「宇宙を貫く法則」と、『観世音菩薩讃歌』の「法則」は全くの別物

〈30-2-1 『甘露の法雨』からの引用部は「実相の神」〉
 『観世音菩薩讃歌』の「法則」の冒頭には、『甘露の法雨』「神」の項の冒頭の一節を引用し、《絶対の神の真性は「聖 至上 無限 宇宙を貫く心 宇宙を貫く生命 宇宙を貫く法則」なり。・・・・「創造の神は 五感を超越している、六感も超越している」と言うはこの理(ことわり)なり。》(『観世音菩薩讃歌』より一部引用)と記されています。この聖経『甘露の法雨』の引用部は、「実相の神」に対する言及と理解できます。

〈30-2-2 続く「法則」の記載は、「物質の法則」〉
 その文章に続いて、《法則が厳然として実在すること 何人(なんびと)も疑わざるなり。宇宙のいずれの場所、いずれの時も、法則は宇宙の隅々に 隈なく行きわたり、存在のすべてを覆い尽くせり。》(『観世音菩薩讃歌』より一部引用)と記されています。ここに記されている「法則」は、明らかに現象世界に現れている「法則」を指しています。その後に書かれている「血液の流れ」や「星雲の運行」「地殻変動」「引力」「生物の進化発展」「鉱物の組成」「鳥や虫の飛行」「光合成」「航空力学」等々の記載事例も、全て「物質の法則」に当たります。

〈30-2-3 『観世音菩薩讃歌』の基本概念は、「物質の法則」の言及〉
 この部分は、『観世音菩薩讃歌』の最初の部分であり、『甘露の法雨』の「神」の項に比すべき重要なものと解せます。即ち、この「経本」の全体像を指し示す個所でありましょう。その重要部分の冒頭に示された概念は、『甘露の法雨』からの引用による「実相の神」を、ほんの少し流用しているものの、その後のほとんどの部分が、「物質の法則」に対する言及であります。ここに、この「経本」の基本的考え方が見て取れると思います。

〈30-2-4 『甘露の法雨』の「宇宙を貫く法則」とは、実相世界の智慧〉
 冒頭の『甘露の法雨』から引用された《「聖 至上 無限 宇宙を貫く心 宇宙を貫く生命 宇宙を貫く法則」》の「法則」とは、一体なんでしょうか。「法則」とは「智慧」であり、神の世界(実相世界)は「智慧(法則)」によって完璧に貫かれている、と理解できます。その「宇宙(実相世界)を貫く智慧(法則)」が、心の世界にあっては、「心の法則」「万物創化の法則」「因果の法則」「類は友を呼ぶ法則」等と現れ、四次元世界(物質世界)に現れては、「物質の法則」としても観察されると言えるでしょう。

〈30-2-5 「物質の法則」は、四次元時空間だけの「法則」であり、実在しない〉
 「時間空間の四次元世界(実はこの時間空間の四次元世界は実在しない)」の中で、物質として観察し得る存在に対して支配的に及ぼされる「法則」が、「物質の法則」とも呼ぶべきものであって、その「物質の法則」なるものは、極めて限定された「時間空間の四次元世界」の中でのみ、効力を発揮し得る「法則」であり、本来実在しない法則です。

〈30-2-6 『甘露の法雨』の「宇宙を貫く法則」と、『観世音菩薩讃歌』の「法則」は全くの別物〉
 もう既にお気づきかと思いますが、この部分に「論理のすり替え」が見て取れます。何気なく、『甘露の法雨』の「絶対の神(実相の神)」を先ず引用して、その中に含まれている「宇宙を貫く法則」なる言葉の「法則」だけを取り出し、続けて「法則」について書き記しているのですが、実は、『甘露の法雨』に書かれた「宇宙を貫く法則」と、その後の「経本」に綴られた「法則」とは、全く別物であるということなのです。前者の「法則」は、「実相世界の法則」(実在の法則、実相世界に遍在する智慧)でありますが、後者の「法則」は、「四次元世界(時空世界)の法則(物質の法則)」であります。

〈30-2-7 『甘露の法雨』の「法則」と『観世音菩薩讃歌』の「法則」が同一のものと錯覚させる〉
 しかし、こうやって続けて書き記すと、多くの人は、『甘露の法雨』に書かれた「宇宙を貫く法則(実在世界の法則、実相世界に遍在する智慧)」と、「経本」に書かれている「法則(物質の法則)」とは、同一のものであると錯覚してしまうところに、極めて大きな問題が潜んでいると思われます。

〈30-2-8 人類を惑わす「論理のすり替え」〉
 このような論理手法を、一般的に「論理の飛躍」とか「論理のすり替え」と申しまして、議論をしたり、文章を書いたり、読んだりする時は、特に注意を要することなのです。そういった事はよくあることであり、それに引っかかると大問題に発展する場合があります。一番端的な例がマルクスの発表した「唯物弁証法」であり、それに基づいて書かれた「資本論」です。この「唯物弁証法」と「資本論」の「論理のすり替え」に気付かず、「共産主義」が「真理」であるという迷妄に走った人類が、20世紀悲惨な運命を辿ることになったのは、既に歴史的過去の事実として記録されています。

注)この「資本論」「共産主義」の迷妄については、当ブログ「1/マルクスの建前と本音」をご参照下さい。http://56937977.at.webry.info/201402/article_1.html


30-3) マルクスの「論理のすり替え」により、人類は億単位の人間を殺害した

〈30-3-1 「唯物弁証法」を「真理」と思い込ませた「論理のすり替え」〉
 話は少し飛ぶようですが、この「論理のすり替え」問題はとても重要でありますので、「唯物弁証法」と「マルクスの資本論」中の「論理のすり替え」について、ここで紹介しておきたいと思います。マルクスの唱えた「唯物弁証法」というものを極簡単に説明しますと、「物質の量が増加すれば、その質(性質)も自動的に変化する」という仮説です。これこそが、ありもしない事を、さも「真理」であるかのように見せた「論理のすり替え」なのです。この嘘の論理の上に構築したのが、「唯物史観」「マルクスの資本論」です。因みに、「唯物弁証法」の元になっているのは、ヘーゲルの「弁証法」です。高名な哲学者ヘーゲルの「弁証法」を元にして、恰も「唯物弁証法」が「真理に適っている」と人類に信じ込ませた点が、マルクスの「論理のすり替え」という騙しのテクニックに当たります。

注)この「唯物弁証法」の間違いについては、当ブログ「1/マルクスの建前と本音」の中で説明していますのでご参照下さい。http://56937977.at.webry.info/201402/article_1.html

〈30-3-2 「唯物弁証法」「唯物史観」を「真理」と思い込ませた「論理のすり替え」〉
 この「論理のすり替え」という騙しのテクニックを、「唯物弁証法」さらには「唯物史観」に応用し、「資本主義はその内在する矛盾から必然的に社会主義革命を引き起こし、次の段階である共産主義に移行する」という共産主義思想をでっち上げたのです。この理論は一見科学的、哲学的真理に基づく理論のように見えていますが、実はありもしない「論理のすり替え」です。マルクスは真理に非ざる「共産主義革命(ユダヤ革命)」(彼はユダヤ人であり、世界の既存国家と既存宗教の破壊を目的としていた)を正当化させる為に、高名な哲学者ヘーゲルの哲学的権威に、頼らざるを得なかったと考えられます。しかし、その「論理のすり替え」に気付かなかった人達は、それが恰も「この世界の真理」であるかのように錯覚してしまったのです。それは大哲学者ヘーゲルの絶大なる信用を流用した〝詐欺行為〟であり、「大哲学者ヘーゲルの名を借りた売名行為」とも言えるでしょう。このような経緯で「共産主義が真理である」と思い違いをした人類の多くは、20世紀、破滅への道を突き進みました。

〈30-3-3 「論理のすり替え」に気付かぬと、それを根拠として次の論理と行動に進む〉
 ここに「論理のすり替え」の怖さがあるのです。それは、「論理のすり替え」によって「間違った説」を、「真理」と勘違いして信じてしまうということです。この「論理のすり替え」に気付かない人達は、無批判にその「間違った説」を「論理の一大根拠」として受け入れ、次の「論理」と「行動」に突き進むのです。

〈30-3-4 悲惨な殺戮と闘争の末に、「唯物弁証法」や「唯物史観」の間違いを人類は学んだ〉
 そして、共産主義思想については、約一世紀の悲惨な殺戮と闘争の末に、「資本論」で採用された「唯物弁証法」や「唯物史観」が間違いであったことを、人類は経験的に学んだのです。しかし、終ってみれば、数千万人以上、一説には億単位の人命が、ソ連、中共、その他共産諸国で殺害され、その地域に根差していた古くからの文化、宗教、伝統、国家の価値ある存在が、破壊され尽したのです。それを容認したのは、マルクスの書いた「資本論」中に紛れ込ました、「論理のすり替え」「論理の飛躍」による、「共産主義革命が真理である」とする「真理に非ざる仮説」を、恰も「真理」であると思い込ませる騙しのテクニックにあったのです。


30-4) 「〝物質の法則〟が万物の父」という「論理のすり替え」を完成
 
〈30-4-1 「物質の法則」を「実相世界の法則」にすり替えた瑕疵〉
 元のテーマに戻ります。『観世音菩薩讃歌』全体の三分の一に亘って書かれている「物質の法則」を、実相世界の描写である『甘露の法雨』冒頭部分の「宇宙を貫く法則」と絡めて書き記す事によって、恰も「物質の法則」が、「宇宙を貫く法則」と同等の「神の法則」(実相世界の法則)まで格上げしたかの様に印象付けているところに、この経本の最大の「瑕疵(かし)」があると思うのです。

〈30-4-2 潜在意識に「物質の法則=神の法則」と〝洗脳〟させる〉
 その「論理のすり替え」に気付かず、この『観世音菩薩讃歌』を読んでしまう人にとっては、何回も読む内に、潜在意識の奥底にまで、「物質の法則」が「神の法則」であるという、印象を与えてしまう危惧が生ずると考えられます。

〈30-4-3 「法則は万物の父」は「論理のすり替え」の完成〉
 「秩序」には次のような事が書かれています。《すべての生物の形態と習性は 法則を父とし 秩序を母とせり。法則は万物の父、秩序は万物の母。万物は〝法則たる父〟に従い 〝秩序たる母〟に抱かれて 物質世界として現前せん。》(『観世音菩薩讃歌』より一部引用)

〈30-4-4 「〝物質の法則〟が万物の父」という「論理のすり替え」に至る〉
 ここに《法則は万物の父》と書かれていますが、これは全く間違った概念です。「神は万物の父」ならば、特に問題はないと思われますが、実在(実相)の万物、宇宙を創造したのは「実相の神」「創造の神」であり、「法則」が万物を創ったのではありません。ところがこの『観世音菩薩讃歌』では、《法則は万物の父》と断定しており、明らかな間違いと言えるのです。それだけに留まらず、『観世観世音菩薩讃歌』で言う所の「法則」とは、前述したように、「物質の法則」を指しておりますので、「〝物質の法則〟は万物の父」との「論理のすり替え」に至らしめている、と解釈できます。


30-5) 「法則」が万物を生み出す「父」たり得ない

〈30-5-1 「神が法則を創った」のであって「法則は神ではない」〉
 元来、「神が法則を創った」のであり、「神が法則として働く」ことはありますが、「法則そのものが神ではない」のであります。実相世界の法則(遍在せる智慧)は神の要素(働き)とは言えましょうが、物質世界に投影された「物質の法則」なるものを、「万物の父」と断定している所に、この『観世音菩薩讃歌』の最大の間違いがあると言えます。すなわち、「〝物質の法則〟を神と観る(絶対視する)」ところの〝唯物論〟がそこに読み取れるのです。この経本は、「神」とか「観世音菩薩」という宗教的(形而上学的)用語を使いながら、実は〝唯物思想〟を語っていると言えるのです。

〈30-5-2 「法則」は「万物」を創り得ない〉
 「法則」は「万物」を創り得ないのであります。創造の根源は「神」にあります。「神が創造した〝法則〟」、それも飽く迄「物質の法則」に過ぎない「仮相の法則」をもって、「万物の父」と断言して書かれているのは、根本的間違いと言えます。《法則は万物の父》と書いている時点で、既に谷口雅春先生の「唯神実相論」ではないのです。「神の言葉(創造力)」が万物発生の根本原因であることを、この著者は理解できていないと言えます。

〈30-5-3 「法則」とは「場」に働いている「システム」のようなもの〉
 では何故、「法則」が「万物」を創っていないと言えるのでしょうか。「法則」とは一種の「システム」に近い概念です。例えば、「物体にある種の〝力〟を加える」という「原因」が生じますと、「物質世界の法則」中の「慣性の法則」が働いて、別の何かの「力」が働かない限り、「その物体は、永久に一方向に動き続ける」という「結果」が生じるのであります。即ち、「法則」とは「場」に働いている「システム」であり「決め事(ルール)」の様なものです。

〈30-5-4 「法則」とは「システム」「プログラム」の様なもの〉
 別に表現すれば、「法則」とはコンピューター内の「プログラム」の様なものです。「あるデータを入力する」という「原因」が発生しますと、システム内の「プログラム」に従って、「決められたものが出力される」という「結果」が現れます。これと同じ様に、「法則」とは「システム」であり「プログラム」の様なものと言えます。

〈30-5-5 「システム」「プログラム」自身は、「原因」を生じさせる「力」はない〉
 「システム」「プログラム」自身は、「原因」を生じさせる「力」はないのです。「原因」は「システム」「プログラム」とは全く別の世界から提供されねばならないのです。「原因」が提供されない限り、「システム」も「プログラム」も決して勝手には、動き出す事はありません。しかしながら、ひとたび「システム」や「プログラム」の外部から「原因」が提供されれば、「システム」や「プログラム」は一気に働き始め、即座に決められた通りの「結果」をもたらすことになるのです。

〈30-5-6 「法則自身」では何一つ「生み出す」ことは出来ない〉
 「法則」も「原因」を生じさせる力はありません。「法則自身」では何物も生み出すことは出来ないのです。しかし、ひとたび、別世界から「原因」が提供されるや否や、「法則」は活動し始め、決められた「法則」に則った「結果」を出力することができるのです。これが「法則」の働きであり、「法則自身」では何一つ「創り出す」ことも「生み出す」ことも出来ないのです。

〈30-5-7 「法則」が万物を生み出す「父」たり得ない〉
 即ち、『観世音菩薩讃歌』の冒頭の多くの部分を割いて書かれている「法則」なるものが、万物を生み出す「父」たり得ないことが、御理解頂けたかと思います。それも「物質の法則」であれば、尚更のことであります。


30-6) 『観世音菩薩讃歌』が唯物思想であることを見抜くゲーム

〈30-6-1 元来「物質世界」は実在していない〉
 更に申し上げれば、元来「物質世界」というものは、実在していません。谷口雅春先生は「現象無し」「物質無し」を説かれました。本来無いところの「現象」や「物質」を、有るものとの前提で思索を巡らし、事物に対応することは、根本的な「無明(迷い)」です。谷口哲学(唯神実相哲学)の特徴の一つは、「物質」と「現象」の完全否定にあります。「〝物質の法則〟が万物の父」等と言う物質世界を認めた思想は、最早「生長の家」の「唯神実相哲学」とは言えないのです。「唯神実相哲学」から逸脱した「物質容認思想」は、既に「生長の家」とは言えません。

〈30-6-2 「物質世界が存在している」という「根本無明」の夢から醒めよ〉
 「〝物質の法則〟が存在(実在)している」と説く思想は、「物質が存在している」とする「物質有り」「現象有り」の迷妄です。この迷妄に囚われておりますと、それに続く様々な迷妄を生み出すことになり、収拾がつかなくなります。この「四次元時間空間の世界が存在している(物質が存在している)」という「根本無明」の夢から醒めない限り、時間空間の四次元世界(物質世界)の「迷い」が解消されず、「生命の実相」の悟りから益々遠ざかって行きます。谷口雅春先生が説かれた生長の家の悟りの本質は、「物質無し」「現象無し」「実相独在」であり、「物質世界」や「物質の法則」は、現象的現れ(写し)に過ぎないのであって、本質的に否定すべきものです。「物質世界」に関する研究をどれほど巧みに行えども、悟りが開けるものではありません。本来実在していない「物質世界」「現象世界」を、きっぱりと否定する所から、実相世界は現れます。

〈30-6-3 唯物経本たる『観世音菩薩讃歌』を読まないことが賢明〉
 本来実在し得ざる「物質世界」に働いている「物質の法則」をもって、「〝法則〟は万物の父」と結論付けている『観世音菩薩讃歌』は、〝唯物思想〟と言わざるを得ないのです。少なくとも〝物質容認思想〟であります。この様な〝唯物思想〟の迷いの文章を、「経本」と称して有り難がって読誦することは、「物質有り」「現象有り」の〝迷い〟に執着することになり、決して〝悟り〟を開く道とはなりません。却って善良な人々を、「唯物思想の迷い」に惑わす事になるでしょう。賢明な生長の家の皆様は、この様な〝唯物思想経本〟を読むことを拒絶されるよう強くお勧めいたします。何故なら、「迷い」の言葉に触れれば触れる程、自己の「迷い」が深まるからであります。生長の家の本部講師、地方講師等が、〝唯物思想〟〝物質容認思想〟の「経本」を信徒に読ませることは、生長の家の本来の目的とは全くかけ離れた、「罪深い」行為である事を、よくよく理解しておく必要があるでしょう。

〈30-6-4 「真理」の仮面を被った「唯物論」を見抜くゲーム〉
 マルクスが「唯物論」の「共産主義革命(ユダヤ革命)」(ユダヤ人の民族的理想実現の為、世界の既存国家と既存宗教の破壊を目的としていた暴力革命)を正当化させる為に、高名な哲学者ヘーゲルの「弁証法」を利用したことは、既に解説しましたが、谷口雅宣氏も、「唯物論」の『観世音菩薩讃歌』という自説「経本」を正当化させる為に、高名な宗教哲学者たる谷口雅春先生の『甘露の法雨』の冒頭の一説を利用したものと言えるでしょう。これらは共に、人々に「真理に非ざる唯物論」を「真理」と思い込ませる、「論理のすり替え」であると言えるのです。実は現象世界には、この様な「真理」の仮面を被った「唯物論」が至る所に蔓延している、ということを知らねばなりません。このカラクリを見抜けるかどうかは、一人一人に委ねられています。このカラクリを見抜くことが、この現象世界というゲームを楽しむ一つの意味かもしれません。攻略難易度の高いゲームであればある程、そのゲーム攻略が達成できた時の喜びも大きい筈です。

〈30-6-5 「唯物論」の嘘を見抜けば、実相が映し出される〉
 最も重要な事は、「唯物論」(「現象あり」と見る迷妄)の嘘を見抜く事です。何故なら、谷口雅春先生がお説き下さった通り、「実相は完全円満」で今此処に既に実在していますが、その完全円満な実相世界を映し出す「心のレンズ」が、「現象あり」と認める〝迷い〟を掴んでいる限り、実相世界の完全円満性は、十分に現象世界に映し出されないからです。その「心のレンズ」を透明にさせる行為が、「唯物論」(「現象あり」と認める迷妄)の嘘を見抜く事と言えるのです。「心のレンズ」から〝迷い(嘘)〟が取り除かれれば、完全円満な実相世界がそのまま映し出される事になります。「唯物論」(「現象あり」と認める迷妄)の嘘を見抜くのは、ゲームに参加している一人一人の力量と責任と言えます。

〈30-6-6 自己の悟りの力量が試されている〉
 谷口雅春先生が御存命であれば、この様な〝唯物思想〟の「経本」を、生長の家の「経本」としてお認めになるでしょうか?谷口雅春先生亡き今、この答を尊師に尋ねることは最早できません。生長の家信徒一人一人が、自分自身の力(悟り)で回答を見つけ出さねばならないのです。「物質有り」の「迷い」に囚われるも、「物質無し」「現象無し」「実相独在」に超入するも、全ては自己の悟りの力量が試されているのではないでしょうか。


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【まとめ】30/経本『観世音菩薩讃歌』を考察する

30-1) 『観世音菩薩讃歌』の約三分の一は「四次元世界の法則」

〈30-1-1 〝実在しない世界(現象世界)〟について書かれた「経本」〉
〈30-1-2 文章の形式は、『甘露の法雨』に極めて似ている〉
〈30-1-3 『観世音菩薩讃歌』の約三分の一は「四次元世界の法則」〉

30-2) 『甘露の法雨』の「宇宙を貫く法則」と、『観世音菩薩讃歌』の「法則」は全くの別物

〈30-2-1 『甘露の法雨』からの引用部は「実相の神」〉
〈30-2-2 続く「法則」の記載は、「四次元世界の法則」〉
〈30-2-3 『観世音菩薩讃歌』の基本概念は、「物質の法則」の言及〉
〈30-2-4 『甘露の法雨』の「宇宙を貫く法則」とは、実相世界の智慧〉
〈30-2-5 「物質世界の法則」は、四次元時空間だけの「法則」であり、実在しない〉
〈30-2-6 『甘露の法雨』の「宇宙を貫く法則」と、『観世音菩薩讃歌』の「法則」は全くの別物〉
〈30-2-7 『甘露の法雨』の「法則」と『観世音菩薩讃歌』の「法則」が同一のものと錯覚させる〉
〈30-2-8 人類を惑わす「論理のすり替え」〉

30-3) マルクスの「論理のすり替え」により、人類は億単位の人間を殺害した

〈30-3-1 「唯物弁証法」を「真理」と思い見ませた「論理のすり替え」〉
〈30-3-2 「唯物弁証法」「唯物史観」を「真理」と思い込ませた「論理のすり替え」〉
〈30-3-3 「論理のすり替え」に気付かぬと、それを根拠として次の論理と行動に進む〉
〈30-3-4 悲惨な殺戮と闘争の末に、「唯物弁証法」や「唯物史観」の間違いを人類は学んだ〉

30-4) 「〝四次元世界の法則〟が万物の父」という「論理のすり替え」を完成
〈30-4-1 「物質の法則」を「実相世界の法則」にすり替えた瑕疵〉
〈30-4-2 潜在意識に「物質の法則=神の法則」と〝洗脳〟させる〉
〈30-4-3 「法則は万物の父」は「論理のすり替え」の完成〉
〈30-4-4 「〝物質の法則〟が万物の父」という「論理のすり替え」に至る〉

30-5) 「法則」が万物を生み出す「父」たり得ない
〈30-5-1 「神が法則を創った」のであって「法則は神ではない」〉
〈30-5-2 「法則」は「万物」を創り得ない〉
〈30-5-3 「法則」とは「場」に働いている「システム」のようなもの〉
〈30-5-4 「法則」とは「システム」「プログラム」の様なもの〉
〈30-5-5 「システム」「プログラム」自身は、「原因」を生じさせる「力」はない〉
〈30-5-6 「法則自身」では何一つ「生み出す」ことは出来ない〉
〈30-5-7 「法則」が万物を生み出す「父」たり得ない〉

30-6) 『観世音菩薩讃歌』が唯物思想であることを見抜くゲーム

〈30-6-1 元来「物質世界」は実在していない〉
〈30-6-2 「四次元世界(物質世界)が存在している」という「根本無明」の夢から醒めよ〉
〈30-6-3 唯物経本たる『観世音菩薩讃歌』を読まないことが賢明〉
〈30-6-4 「真理」の仮面を被った「唯物論」を見抜くゲーム〉
〈30-6-5 「唯物論」の嘘を見抜けば、実相が映し出される〉
〈30-6-6 自己の悟りの力量が試されている〉

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