41/人類の憂患を助ける「桃の実三箇」

41-1) 「生命の実相」による「真理と真実の理論武装」

 前回のブログ【反日勢力が「日弁連」を掌握しようとした理由と、本来の日本の法体系】では、「日弁連」が何故「反日勢力」の牙城となったのかという根本的理由を解説しました。その中で、「吾々日本国民と生長の家人にとっては、これら「反日勢力」達の巧みな戦略や戦術に対して、どのように対処すべきかが、最大の課題であると言えるでしょう。」と提起しましたが、今回はそれについて触れてみたいと思います。

 生長の家現総裁谷口雅宣氏もそうでありますが、「反日勢力」全般の論理というものは、必ず「論理破壊」しているのであります。それは何故かと申しますと、「真理に非ざる〝迷い〟」が随所に混入されているからであります。「迷い」は「論理」の辻褄を破壊します。その点で彼らの論理は、必ず破綻しており、その破綻を隠す為に、様々な「誤魔化し」をせねばならなくなります。そして最後には、「暴力的脅し」の手段を使うことになるのでしょう。

 そういう「迷いの反日勢力」に対して、吾々はどのように対処すべきなのでしょうか。その答えと考えられるのが、「真理と真実の理論武装」であります。結局この現象世界というものは、《この世界は光と迷いの反影が交錯してあらわれている映画なれば、迷いを一日も早く消すが世の苦難を救う唯一の道なり。》(谷口雅春先生著『懺悔の神示』より)と示されている通りであり、「迷い」を明確に分別して投げ捨てる必要があります。その為には、「真理(生命の実相)」を明確に理解する必要があるのです。「真理」を系統立てて理解することによって、自ずから「迷い」を識別出来る事になります。逆に言うと、「迷い」がはっきりと識別出来ないのは、その人が「真理」を系統立ててはっきりと理解していないことを意味しているのです。(勿論、直感力や神霊からのインスピレーションによって、「真理」と「迷い」を知ることはありますので、それを否定するものではありません。)「真理と真実の理論武装」とは、『論理的に「生命の実相」の真理を系統立てて理解する』事と同時に、『現象世界に映し出されている「真実」を、「真理(生命の実相)」に照らして論理的に理解する』行為に他なりません。

 「現象に映し出された現れ」というものは、〝本来無い〟のでありますが、その奥には、吾々人類の心が抱いている「信念」が映し出されているのでありますから、「現象世界」に「不完全」が映し出されているのであれば、それを映し出した所の「心の迷い」があった事を〝教訓〟として汲み取らねばなりません。そのように〝教訓〟として与えられているのが、「現象世界」というシステムを使って、神が人類に与えた所の「プレゼント=贈り物」(present=現実)の隠された真意であります。

 自己の「心の迷い」によって、「現象世界の不完全が現れる」という事実を観察した時、その「不完全の原因」の「自己の心の迷い」を発見することを疎かにすれば、同様の問題は手を変え品を変え、現象世界に映し出されて来ることになります。つまり、日本人の「心の迷い」の反映として、現象世界に「反日勢力」や「国家破壊勢力」の台頭となって現れ、社会が混乱しているのであります。


41-2) 人類の憂患を助ける (1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」

 この問題を本質的に解決する方法は、前述した通り、『論理的に「生命の実相」の真理を系統立てて理解する』事と同時に、『現象世界に映し出されている「真実」を、「真理(生命の実相)」に照らして論理的に理解する』行為を指しているのです。私達日本国民が、『論理的に「生命の実相」の真理を系統立てて理解する』事をより具体的に説明すれば、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」を明確に理解することに外ならないのです。更に、『現象世界に映し出されている「真実」を、「真理(生命の実相)」に照らして論理的に理解する』行為とは、現在の国際情勢、国内情勢の真実を観察し、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」の真理に照らして、そこに含まれている「迷い」と「実相」を明確に選別して、「迷いの払拭」を行なう事を指しています。

 ここで、何故、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」なのかの根拠を示しておきます。この事について、『古事記』における、伊邪那岐大神が黄泉の国から逃げ帰って来られた「夜見國の段」に、《黄泉比良坂の坂本に至る時に、其の坂本なる桃子(もものみ)を三箇取りて、待ち撃ちたまいしかば、悉に逃げ返りき。爾に伊邪那岐命桃子に告りたまわく、汝吾を助けしが如、葦原中國の所有うつしき青人草の、苦瀬(うきせ)に落ちて、患惚(くるし)まん時に、助けてよと告りたまいて、意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)と號(い)う名を賜いき。》とありますが、その解説の中で、谷口雅春先生は次の様に説いておられます。

《その三つの桃の實(生命の實)は何と何とであるかと言いますと、その桃の實の一つは、「日本天皇の生命の實相」もう一つは「日本國の生命の實相」、それからさらにもう一つは「人間の生命の實相」であります。この三つの「生命の實」の相(すがた)が本當に解ったら、死の國の地獄の鬼は逃げて行くのだということが、『古事記』に示されているわけであります。》(谷口雅春先生著『古事記と現代の預言』106頁より)

 さらに、《そして、今までの〝イザナギの大神〟即ち「光の大神」によって象徴される日本の國が大東亜戦争で負けて逃げてきて、敗戦の状態になったところは『古事記』を預言書として見るとき、この黄泉比良坂の手前のところまでが実現したのであって、これから後に起こることは、『古事記』のこれから先に書かれているのであります。葦原中國というのは、高天原の「天」(實相世界)に対して「地」即ち現象界であります。青人草とは人類のことで、「人類の憂患のときには生命の實相の眞理で助けてやってくれ」と仰せられて〝オオカムツミ「大神(生命)の實」の命〟の名を与えられた。》(同書106頁より)と書かれている通り、この「生命の実相」の真理、即ち、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」によって、人類の憂患が助けられると、『古事記』では預言されているのです。

 ここで重要なポイントは何かと申しますと、「人類の憂患を助ける」〝オオカムツミ「大神(生命)の實」の命〟の働きとは、「桃の実三箇」だということです。即ち、(1)「日本天皇の生命の実相」と、(2)「日本国の生命の実相」と、(3)「人間の生命の実相」の三つが同時に必要だという事を明確に理解しておかねばならないのです。「人間の生命の実相」を説いているだけでは、「人類の憂患を助ける」ことはできないのです。


41-3) 「日本天皇の生命」と「日本国の生命」と「人間の生命」とは一体である

 この3つの「生命の実相」が、本来一つであることは、次の『君民同治の神示』を見れば明確に理解出来ます。
 《國は人間生命の外延である。それは身體が人間生命の外延であるが如くである。人間生命が神より生れたる神聖なるものであるといふ自覚が、その外延であるところの國をも神より生れたる國であるとの神聖性を要求するのである。この要求が神によつてその國が造られたのであるとの神話を創造するのである。しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要請するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。身體も國も共に観る者(主體)から反映せられる世界(客體)である。観る心の要請が身體に於ては脳髄の存在となり、國に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。即ち観る主體(民)が神聖であるから、観らるる客體である天皇が神聖なのである。観る主體(民)の神聖性が包まれ蔽はれて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽はれて発現しなくなるのは其のためである。今の状態がそれである。人間は自己自身の神聖性のゆゑに神造の國家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなはち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり君は客である。是を主客合一の立場に於て把握すれば主客一體であり、君民一體であり、民は君を拝み、君は民を拝む。民を拝みたまふ治は、君を拝むところの事と一體である。治事一體であり、治めると事(つか)へるとは一體であり、君民同治である。天皇は絶対者にましますとは、観る主體たる人間(民)の絶対性より来る。民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として國の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。打ち続く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覚が破れたのが國家大権、天皇大権の一時中断の形をもつて現れたのである。》(谷口雅春先生著『君民同治の神示』より)

 この『君民同治の神示』にある様に、『國は人間生命の外延である。』『観る心の要請が身體に於ては脳髄の存在となり、國に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。』と記されています。即ち、(1)「日本天皇の生命の実相」と、(2)「日本国の生命の実相」と、(3)「人間の生命の実相」とは、元々は一つのものであり、別けられるもので無い事がはっきりと理解できます。


41-4) 谷口雅春先生没後の生長の家教団の問題点

 本来一体であり別ける事が出来ない、三つの「生命の実相」の内、 (1)「日本天皇の生命の実相」と (2)「日本国の生命の実相」を蔑ろにした所に、谷口雅春先生没後の生長の家教団の本質的問題があると言えるのです。

 (3)「人間の生命の実相」を自覚することは勿論大切なことであります。この「人間の生命の実相」即ち「人間は神の子である」という「真理」を知らざる「心の迷い」が存在する場合には、病気・不調和・不運・不幸などが、その人自身に現れることになります。その様な「不調和な現象」に対しては、(3)「人間の生命の実相」を自覚する事によって、その人の「心の迷い」が消滅し、自ずから「不調和な現象」が消滅する事は、生長の家の教えに触れた方々であれば、よくよく御存知の事でありましょう。しかし、それだけでは、《國は人間生命の外延である》という人間の本質までは理解していないことになります。やはり、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」の三つが揃って初めて、『生命の実相を悟った』と言えるのであります。

 谷口雅春先生亡き後の生長の家教団は、(3)「人間の生命の実相」については、教団を上げて取り組んだでありましょうが、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」については、残念ながらほとんど説く事が無くなったのであります。その結果として、生長の家信徒の多くが、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」を自覚しなくなると共に、自覚ある信徒は、愛国運動、政治運動を行なわなくなった生長の家教団に失望して、自ずから去る人も多かったでありましょう。更に時が経ち、教団指導層も信徒の多くも、やがては表立って(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」に対する意識が離れて行ったと考えられます。そこに、「生長の家教団の〝迷い〟」の種が播かれ、時巡って、谷口雅宣氏という「反日思想」(唯物思想)の総裁の登場となり、生長の家教団の崩壊となったというのが、「心の法則」から観察したと所の真の原因と言えるのです。

 この(3)「人間の生命の実相」のみを強調し、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」については関心を持たない姿勢は、精神分析的にみれば、「利己主義」であり一種の「唯物思想」に当たると言えるのです。「人間個人としての幸福」「成功」「繁栄」「家庭調和」「病気治癒」などは、確かに、(3)「人間の生命の実相」を自覚することによって成就するでしょうが、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」の理解に及ばない教えは、国家理念の崩壊、天皇否定の現象世界を映し出す要因となるのであります。それは神と神性国家とを蔑ろにした所の「利己主義」であり一種の「唯物思想」の変形と言えるのです。

 そのように、谷口雅春先生没後の「生長の家教団の心の迷い」が心的要因となって、「生長の家教団の破壊」と「日本国の破壊」を呼び寄せた事実を、吾々生長の家人は、重く受け止めねばならないと思うのであります。


41-5) 「迷いの軍団」を減退する最高の武器「三つの桃の実」

 谷口雅春先生の御教えによって救われ、最高の真理に触れる事が出来た私達にとって、今なし得る事は、谷口雅春先生が御説き下さった(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」という「三つの桃の実」を、迷いの軍団たる「反日勢力」に投げつける事であると思うのであります。

 『古事記』は世界最高の「預言の書」と言えます。龍宮海に鎮み隠され続けていた『古事記の預言』を、塩椎大神(龍宮へ導かれる神・生長の家の神・生命の実相の真理)の御導きによって、谷口雅春先生は地上世界に現し出されたのであります。愈々、『古事記の預言』が地上に現れて成就する時期が来たと考えられます。そして今まさに、住吉大神(鎮護国家・宇宙浄化の大神)の御働きによる、日本と世界の浄化がなされている真っ只中と考えられます。これらの預言の全てが、『古事記の預言』として日本民族の直観により、大昔から示されていたものであります。

 その『古事記の預言』の中でも、最も重要と考えられる個所が、「桃の実三箇」の神話ではあると小生は信じております。思えば、73年前、敗戦によって、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」の真理は、GHQによって完全に隠蔽されたのでした。長期間に渡って、谷口雅春先生は、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」を説く事が、許されなかったのであります。それが解禁され、具体的に書籍化されたのは、戦後20年も経過した昭和39年の『無門関解釈』であり、昭和41年の『大日本神国観』の復活でありました。さらに昭和43年には待望の名著『古事記と現代の預言』が出版せられたのであります。これは、戦前聖典『生命の實相』第十六巻に集録されていた『神道篇 日本国の世界的使命』が、戦後の『生命の實相』全集からはGHQの命令によって削除されていたものに代る『古事記』解説でありました。しかし、その後30年以上の時が過ぎ、谷口雅宣氏の時代に入るや、この『古事記と現代の預言』は絶版となり、再び『古事記の預言』は隠蔽されたのです。しかしながら、それから10年程経過した平成20年、『古事記と日本国の世界的使命』として、占領下「発禁」の運命を甘受した『神道篇 日本国の世界的使命』が甦ったのであります。

 これによって、谷口雅春先生による『古事記の預言』の全貌が、地上世界に明確に現れたと言えるのです。龍宮海に秘められていた『古事記の預言』が、塩椎大神と住吉大神の御導きと、不世出の大哲学者にして大宗教家の谷口雅春先生を通し、地上に完全に出揃ったのであります。そして、この『古事記の預言』の中で最も重要と言える個所が、伊邪那岐大神が黄泉の国から逃げ帰って来られた「夜見國の段」であると考えられます。ここには、《黄泉比良坂の坂本に至る時に、其の坂本なる桃子(もものみ)を三箇取りて、待ち撃ちたまいしかば、悉に逃げ返りき。爾に伊邪那岐命桃子に告りたまわく、汝吾を助けしが如、葦原中國の所有うつしき青人草の、苦瀬(うきせ)に落ちて、患惚(くるし)まん時に、助けてよと告りたまいて、意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)と號(い)う名を賜いき。》と示されております。

 即ち、「迷い(反日勢力)の軍勢」に対しては、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」という「三つの桃の実」を投げつける事によって、「迷い(反日勢力)の軍勢」が悉く退散する事が預言されているのであります。この「三つの桃の実」を大々的に宣布することによって、唯物思想の「反日勢力」は撃退され、(1)「日本天皇の生命の実相」と (2)「日本国の生命の実相」と (3)「人間の生命の実相」が、明らかに顕現されることになるのであります。それは同時に、「生長の家の生命の実相」の顕現となるのでありますから、「生長の家」も自ずから「本来あるべき姿」に復するのであります。

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