46/ 神武建国の理想、古事記の精神、キリストの主の祈り、生長の家の人類光明化運動は全て同じ

46-1) 『古事記』の「桃の実三箇」は、「日本天皇・日本国・人間の生命の実相」である

 「生長の家」とは、「生命の実相」の真理に基づく教えです。「生命の実相」の真理とは何であるかという事がはっきり解らないと、「生長の家」を理解する事はできません。この「生命の実相」を明確に表現された谷口雅春先生の御文章があります。それは、『41/人類の憂患を助ける「桃の実三箇」』(http://56937977.at.webry.info/201806/article_4.html)で紹介させて頂きました通り、『古事記と現代の預言』にあるところの、イザナギ大神が、黄泉平坂で「黄泉の国(迷い)の軍団」を退散せしめたところの、「桃の実三箇」がそれであります。

 その「桃の実三箇」とは、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」を現しています。そもそも、『古事記』の神話とは、「日本天皇」と「日本国」と「日本民族」並びに「森羅万象」に対する、日本民族による直観把握を「神話」形式で語られたものであります。そこで語られている事を一言で要約しますと、「日本天皇」も「日本国」も「日本民族」も「森羅万象」も、「一切の存在は神から生まれたものである」ということを示しているのです。

 古代から「日本民族」の中で語り伝えられて来た『古事記』の思想は、「神から一切の存在が生まれ出た」という思想でありますから、「天皇も神」であり、「日本国家も神国」であり、「人間も神」であり、「森羅万象も神」だということを意味していることになります。故に、日本神道(惟神の道)では、「森羅万象」を「八百万の神」として祀り、礼拝することになります。つまり、この思想は、「生長の家」の「生命の実相」哲学、「人間は神の子である」という思想と全く同じであり、『古事記』の『唯神一元論』の思想を、「生長の家」では『唯神実相論』と呼んでいるのであって、根本的な違いは無いと言えます。

 では何故、「神から生れ出た存在」が、様々な問題を起こすが如く見えるかと言うと、それは「迷い」「罪(積み=隠蔽)」が、「神性」を覆い隠している為であります。又同時に、その「迷い」と見えるものこそ、「実相世界」を「現象世界」に映し出す所の「仕組み」でもあるのです。この事については、『33/ 《實在にあらざる物を實在せるが如く扱ふこと勿れ》』(※参照)の『33-7) 〝(唯物論の)迷い〟は〝悟り〟が動き出し現象化しつつある道程である』に触れておきましたが、「迷いは本来無い」のですが、その「無い迷い」があるかの如く現れているように見えるのは、「〝迷い〟がそのまま〝菩提(悟り)〟の道程である」ということであり、「〝神〟が〝神の国〟を地上に顕現するための土台又は地盤になるための精神的基礎工事を行うために授けたところのもの」と、『神真理を告げ給う』において、谷口雅春先生を通し、神は教えておられます。
(※参照)http://56937977.at.webry.info/201801/article_1.html

 即ち、「生命の実相(生命の本当の姿)」を知る事によって、本来無い筈の「迷い」は消滅することになります。と、同時に「生命の実相(生命の本当の姿)」を自覚する事によって、「実相世界の顕現」が完成することになるのです。『古事記』でも「生長の家」の説く真理でも、「桃の実(生命の実相)三箇」を「迷いの軍団」に投げつけることによって、「迷いが消滅する」事を示しているのです。「桃の実(生命の実相)三箇」を自覚すれば「迷いが消滅」し、「実相世界」(高天原)の新たな展開(「幽の幽なる神」の次元から「幽なる神」の次元への展開)となります。その展開の過程で「住吉大神」の出現となり、「天照大御神」の誕生となる神話として象徴化されていると言えます。「幽の幽なる神」とは「天之御中主神」であらせられ、「幽なる神」が「天照大御神」であらせられ、「現人神」が「天皇」であらせられます。この三神が、生長の家の主斎神であります。「住吉大神」は〝宇宙浄化の神〟であらせられると同時に、「神の心の顕現」であらせられ、「実相世界」において、神(天照大御神)の心(塩椎大神)の顕現(住吉大神)が、既に完全円満な形で実在しているのです。生長の家の副斎神が「住吉大神(生長の家大神)」であります。その事に付いては、谷口雅春先生著『神の真義とその理解』「生長の家本尊の意義」を御覧頂くと共に、拙プログ『27/住吉大神の顕斎によって、既に宇宙浄化は完了した(その2)』の『27-15) 住吉大神は「天照大御神の心の顕現」』に解説していますので、興味のある方は御覧下さい。http://56937977.at.webry.info/201608/article_3.html

46-2) 人類の憂患の時には〝生命の実相〟の真理によって助けられる

 ところで、現実問題として危機が迫って来た時、即ち、「迷いの軍団」が目前に迫って来た時に、吾々は何を為すべきなのかが、極めて重要なポイントとなって来ます。その答えは、上に示されている所の、「桃の実三箇」を「迷いの軍団」に〝投げつける〟という〝実際行動を起こす〟事が、『古事記』には示されています。このことについて『古事記』に、イザナギ大神は「桃(生命)の実」に対して、《「人類の憂患のときには生命の實相の眞理で助けてやってくれ」と仰せられて〝オオカムツミ「大神(生命)の實」の命〟の名を与えられた。》(谷口雅春先生著『古事記と現代の預言』106頁より)とあります。即ち、『古事記』の神話の中だけではなく、今後起こるであろう「日本と人類の危機」に際しては、「生命の實相の眞理で助けてやってくれ」と預言されているのです。

 これは極めて重要なことでありまして、「日本の危機」「人類の憂患」に際しては、「桃の実三箇」、即ち(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」の三つの「生命の実相」を、三つまとめて〝投げつける〟ことが、極めて効果的であることを教えてくれているということなのです。逆に、三つをまとめて〝投げつけない〟ならば、効果がないとも言えるのです。

 既に、『41/人類の憂患を助ける「桃の実三箇」』(http://56937977.at.webry.info/201806/article_4.html)で説明致しました通り、谷口雅春先生御存命中の「生長の家」では、谷口雅春先生が直々に、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」の「桃の実三箇」を明確に御説きになり、その「桃の実三箇」を「迷いの軍団」に勇敢に投げつけて来られましたので、多くの人々が「生長の家」に参集し、「愛国運動」も盛んに行なわれてきました。しかしながら、谷口雅春先生没後の「生長の家」では、(3)「人間の生命の実相」は説かれても、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」については、あまりというか、ほとんど説かれなくなって来ました。

 ここに、その後の「生長の家」の衰退と、現在の崩壊状態の根本的原因を見出す事が出来るのです。谷口雅春先生が亡くなられてから、今年で33年となりました。この間の「生長の家」の衰退と崩壊劇から、何を〝教訓〟として受け取る事ができるか、という事こそが重要であります。問題の原因が解れば、その〝教訓〟に基づいて、正しい道を進めば良いだけであります。別に難しい事ではありません。「正しい事」をすればいいのです。その「正しい事」というのは、「桃の実三箇」即ち、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」の三つの「生命の実相」の真理を、三つまとめて「迷いの軍団」に〝投げつければ良い〟ということであります。

 顧みれば、谷口雅春先生の時代は、常に(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」の三つの真理が同時に説かれ、その「桃の実三箇」の真理を日本国民と人類に〝宣布する(投げつける)〟ことによって、日本国家と人類の〝憂患〟を具体的に撃退して来られたのです。これは正に、『古事記』に書かれた「桃の実三箇」を「迷いの軍団」に〝投げつけて〟撃退したことに相応していると言わざるをえません。


46-3) 「桃の実三箇」を投げつける「実際行動」の重要性

 戦前の立教当初から、戦後の混乱時期、先生の晩年に至るまで、谷口雅春先生のなされた行動は、常に(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」の「桃の実三箇」を「迷いの軍団」に〝投げつける〟実際行動であったと言うべきです。谷口雅春先生は、終生「桃の実三箇」を説いて、御自分が「実際行動を取られていた」ところに、偉大さがあると思うのです。やはり、真理を「知る」だけではなく、「説く」だけでもなく、その真理に対する「実際行動を取る」事が重要なのだと思います。そして、その三つの「真理」をバラバラにするのではなく、まとめて「真理を説き」公開することが大切だということです。本来、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」の三つの真理は、別々のものではない、一つの「生命の実相」の真理の働きであり、顕現であるからです。

 具体的には、谷口雅春先生の時代には、「人間神の子」の真理を説くと同時に、「政治運動」「生政連運動」「生学連運動」「憲法復元運動」「天皇御在位50年奉祝運動」「建国記念日制定運動」「日の丸掲揚運動」「日教組偏向教育是正運動」「優生保護法改正運動」等々の国民運動の先頭に立って、生長の家が大活躍して来た歴史があります。「人間神の子」の真理によって、個人を救うと同時に、国家を救済する為の政治に関する「実際運動」が必須だということです。「理想世界100万運動」にしましても、色々と批判されているようですが、あの様な国家を救済せんとする「実際行動」は、実に立派な行為であったと思います。

 生長の家の「生命の実相」哲学を、『古事記』的に解釈致しますと、谷口雅春先生が『古事記と現代の預言』で御指摘頂いている通り、現実問題の「迷いの軍団」に対しては、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」の「桃の実三箇」を、まとめて〝投げつける〟ことに〝集中〟する事が、最も大切な事であると言えます。谷口雅春先生の御説きになられた「生命の実相哲学」を現実の社会に生かすことが、先生の御教えを受けた生長の家人一人一人に課せられた〝課題〟であると信じています。小生も及ばずながら、その道に邁進致したいと心に誓っております。

 現在、拙ブログによる情報発信や、「余命プロジェクト」への協力、「弁護士懲戒請求」「外患誘致罪告発」等の具体的な「実際行動」を行なっているのは、『古事記』に書かれている「迷いの軍団」に対する「桃の実三箇」を投げつける「実際行動」としての、小生に出来る些細な働きと考えております。


46-4) (1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」は、人類の憂患(危機)を救う

 先に、《「日本の危機」「人類の憂患」に際しては、「桃の実三箇」、即ち(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」の三つの「生命の実相」を、三つまとめて〝投げつける〟ことが、極めて効果的である》と申しました。そこには、「日本の危機」と「人類の憂患」の二つが並んでおります。前者の「日本の危機」に対しての、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」の三つの意味の重要性は、比較的簡単に理解ができます。しかし、後者の「人類の憂患(危機)」に対しても、何故 (1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」という、三つの「生命の実相」の真理が有効であるかについては、少し理解し難いかもしれませんので、次に説明いたします。

 「日本天皇」というのは、日本国だけの問題ではないということであります。『大和の国の神示』に、「大日本天津日嗣天皇」について、次の様に示されております。《大日本天津日嗣スメラミコトとは固有名詞ではない。理念の表現である。「大日本」すなわち「ひかりあまねき」、「天津」すなわち「天の父の」、「日嗣」すなわち「みこころを嗣ぎたまえる」、「スメラミコト」すなわち「天降(あも)りましたる帝王」と云う意味であるから、総じて訳せば「ひかりあまねき天の父のみこころを嗣ぎたまえる天降りましたる帝王」と云うことである。天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平和になる世界になれば、それが本当の大和の国である。それが本当の大日本天津日嗣すめらみことの治(しろ)しめし給う世界である。肉体のことではない。》(谷口雅春先生著『大和の国の神示』より)つまり、「日本天皇の生命の実相」とは、この神示に示されている所の「大日本天津日嗣スメラミコト」であり、「日本国の生命の実相」とは「天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平和になる世界になれば、それが本当の大和の国である」所の世界を示していると言えるのです。

 この神示に示されている通り、現象に現れている「日本天皇」の奥に、「日本天皇の生命の実相」即ち、「大日本天津日嗣スメラミコト」が実在しているのであり、その象徴的顕現として、「日本天皇」が現れているのです。同じ意味において、現象に現れている「日本国」の奥に、「日本国の生命の実相」即ち、「天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平和になる世界」が、実在しているのです。即ち、「日本天皇の生命の実相」が中心者にまします「日本国の生命の実相」とは、キリストが「主の祈り」で祈られた所の、「御心の天に成る世界」であるのです。

 現在の現象世界において、「日本天皇の生命の実相」と「日本国の生命の実相」が顕現しているのは、「日本天皇」と「日本国」だけでありますが、時期来たって、世界中の人々が (1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」の「三つの生命の実相」を自覚した暁には、世界中に「御心の天に成るが如く地にも成らせ給える世界」(キリストの地上天国の理想)が実現する事になります。それが、生長の家で言う所の「人類光明化運動」の実現となります。即ち、「世界の憂患(危機)」が訪れた時には、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」の「三つの生命の実相」に振り向く(自覚する)ことによって、それらの憂患(危機)が解決し、「地上天国が実現する」ことになるのです。

 故に、『古事記』における「三つの桃の実」に対して、谷口雅春先生の《「人類の憂患のときには生命の實相の眞理で助けてやってくれ」と仰せられて〝オオカムツミ「大神(生命)の實」の命〟の名を与えられた。》との解釈は、実に的を得ていると言わざるを得ないのであります。現象の「日本国」も現象の「日本天皇」も、それだけを見れば、日本だけの存在であると思われがちでありますが、実はそうではないのであって、「全世界の実相」の真の姿を『古事記』には書かれていると考えるべきであります。即ち『古事記』なる神話は、日本民族だけの民族神話ではないのであって、「世界(地球)人類」の為の「神話」であり「預言」であると言い得るのであります。『旧約聖書』が「唯物二元論」的意味での「神話」であり「預言」であるのと対を為す様に、『古事記』は「唯神一元論」の立ち位置での「神話」と「預言」を人類に示していると言えるのです。


46-5) 「神武建国の理想」「古事記の精神」「キリストの主の祈り」「生長の家の人類光明化運動」は全て同じである

 今までの世界は、『旧約聖書』に基づく「神話」と「預言」による、「唯物二元論」に支配せられて来た歴史であったのですが、これからの新しい地球は、『古事記』に基づく「神話」と「預言」によって、「唯神一元論」に導かれて行く時代に突入するに間違いが無いのであります。何故、間違いが無いかと言いますと、人類の「唯物二元論」に対する意識が、次々に破壊されて来たからなのであります。今急激に、人類は「唯物二元論」による「戦いと侵略と支配・被支配」の体験に疲れ果て、世界の真の平和と繁栄の希望を、神の如き慈愛に満ちた「天皇」を戴く大調和の「日本」に見出そうとしている、歴史的変革期に来ていると言えるのです。その徴候はあらゆる面で現れている事は、皆様もよく御存知でありましょう。東日本大震災時における、世界の人々からの日本と日本人に対する賞讃と祈りは、類例を見ないものでありました。日本という国の人種差別の無い、犯罪の少ない、平和で繁栄した社会を、人類は驚嘆の目で見ているのです。現在は、唯単に「日本への憧れや好奇心」でありますが、今後は「何故日本がそのような国家であるのか」という真の理由を、人類は解明することになるでしょう。

 その時に、最も大切な事は何かと言えば、それが (1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」の三つの「生命の実相」に振り向く(自覚する)ということなのであります。谷口雅春先生が、「生長の家」を始められた当初から、「人類光明化運動」を前面に表明され、「地上天国実現」を目的にせられたと同時に、『古事記』の解釈に基づき、(1)「日本天皇の生命の実相」(2)「日本国の生命の実相」(3)「人間の生命の実相」の三つの「生命の実相」を説き続けられたのは、地球上の「人類」の運命と「日本」の運命は一心同体であるからであります。

 即ち、「実相世界」においては、唯一 (1) 「神」(日本天皇の生命の実相)と、(2) 「神の国」(日本国の生命の実相)と、(3)「神の子」(人間の生命の実相)が実在しているのです。その「実相世界」の現象世界への投影が、「日本天皇」「日本国」「日本人」であり、世界に展開しては、「天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平和になる世界」、即ち「御心の天に成るが如く地にも成らせ給える世界」(地上天国、人類皆神の子兄弟)の実現となるのです。そして、その大理想を国家建国の理想とされたのが、『神武建国の理想(神武天皇の詔勅)』であるところの、『兼六合以開都,掩八紘而為宇』《六合(全宇宙)を兼ねてもって都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)となす》の精神であります。

 ここに、『神武建国の理想(神武天皇の詔勅)』と、『古事記』の精神である所の「桃の実三箇」と、キリストの「主の祈り」と、生長の家の「人類光明化運動」は完全に一致しているのであり、同じ「地上天国実現運動」と言えます。
      (あまむし庵)

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