56/【天皇の継続性−1】平成から令和への「御代越し」の真意を探る

1)「天皇の御代越し」を日本国民が手放しに祝賀し喜び合った

 時代は平成から令和に引き継がれた。先ずは日本国民の一人として、心からのお祝いを申し上げたい。令和元年5月1日午前零時のカウントダウンイベントを始め、日本中で国民の自主的な祝賀と喜びの声が涌き起こった。日本中の主要神社、神宮で頂ける「御朱印」をこの日獲得する為に、数時間もの長い行列ができた事等も予想外だった。又、「御朱印帳」の売り切れも続出したそうだ。日本中の街々で、自主的な祝賀のイベントが開催され、何処も大盛況となった。日本国民の心からの喜びが直に伝わって来る。この瞬間に「結婚届」を役所に提出するカップルが続出した。これらは、誰かの差し金や、組織、団体、政府の指示命令ではない。
 これほど天皇と元号に対する関心がはっきり浮き彫りになった事は、今迄あったろうか。戦前は兎も角として、敗戦により日本文化が破壊尽くされた戦後の日本で、崩御と譲位の違いはあるものの、これ程の規模の国民の自主的な行動による祝賀の様子はなかった様に思う。今回の特徴は、国民の草の根からの絶大なる祝賀パワーがあったと言う事である。これらは政府や団体が意図的に作り出したイベントではないと言う所に、大きな意義がある。

2)戦後続けられた「反天皇、反日、伝統破壊キャンペーン」

 戦後の70数年に渡って、反日マスコミ、日教組、反日勢力、在日勢力(外国人勢力)を中心とした「反天皇、反日、伝統破壊キャンペーン」が続いて来た。日本の文化伝統は、徹底的に破壊されたのである。「天皇」を祝福する事、「国旗」を掲げる事、「君が代」を歌う事に対する抵抗が蔓延して来た、暗黒の時代だったと言える。極最近でこそ、反日勢力の立場が弱まり、「天皇擁護」を語り始めた反日勢力達であるが、それ迄は「反天皇」「日本の伝統否定」を旗印にしていた事は紛れもない事実である。日本を占領したGHQ(※当時のGHQは、一部のユダヤ勢力、国際金融勢力、ディープステート、共産主義勢力に牛耳られていた)による日本弱体化政策、日本破壊政策の傀儡工作として、長年世界を支配して来たこれらの勢力によって、彼ら「反日勢力」達は庇護されてきたのである。しかし、昨今「天皇」を擁護する様な形をとりつつある。だが、実は「女系天皇」を認めさせ、日本古来の「万世一系の天皇」「男系天皇」の伝統と歴史を破壊する事が、彼らの目的である事は見え透いている。つまり、表面上「天皇擁護」に見せかけてはいるが、「万世一系の天皇」「男系天皇」に対する「反天皇」の破壊工作は続いているのである。

3)反日勢力、在日勢力の「天皇利用の政治的プロパガンダ」は、日本国民の草の根からの「祝賀の精神」とは全く次元が異なる

 今回の日本国民の草の根からの地鳴りの様な「祝賀」の波の本質について、ここで考えてみたい。何故、「天皇の御代越し」が日本国民全体から、これ程の「祝賀」と「喜び」を得たのだろうか。マスコミもこの国民の祝賀のパワーを放映しているが、その意義については、表面的な解説に留まっている様に思う。マスコミの一般的な論調は、『憲法に定められている〝象徴天皇〟を模索し続けられる天皇』に焦点を当て、殊更に強調していることに注目すべきだろう。これは、日本国憲法に定められた「象徴天皇」の条項に対して、天皇陛下は純粋なる「護法の精神」に基づいて取り組まれている事から来る、現れに過ぎないことを知るべきである。
 占領下における占領軍主導の現憲法制定とは言え、現憲法下にあってはなん人も憲法を遵守すべきは当然であるが故に、天皇におかれても「憲法遵守」の姿勢を示されるのは、当然過ぎる程当然と言わねばならない。マスコミや一部野党勢力は、その御言葉を取り上げて、「象徴天皇」という言葉を強調しようとする。又、一部の野党においては、「天皇が『象徴天皇』を大切にされているが故に、日本国民も現憲法を守るべきである」というような論説迄飛び出す始末だ。これらは反日勢力の「どうしても現憲法(占領憲法)を守りたい」という政治的プロパガンダに、「天皇」を使っただけと言える。故に反日勢力は、「天皇の政治利用」をしているに過ぎないのである。決して「日本古来の本質的天皇の存在意義を大切にする」という精神からの発言ではない事は、容易に解ることである。自分勝手なプロパガンダの為に、「天皇」を政治的に利用しているに過ぎないのである。失礼千万だ。不遜も甚だしい。これらのマスコミや一部野党、反日勢力、在日勢力(外国人勢力)の「天皇利用の政治的プロパガンダ」は、今回の全国民の草の根からの「祝賀の精神」とは、全く次元が異なると言わねばならない。

4)日本民族の魂的感情から涌き上がって来た本質的な祝賀と喜び

 では、今回の日本国民の草の根からの「祝賀」と「喜び」の感情が何処から涌き起こって来たか、と言う事について小生の考え方を述べたい。それは、(1) 日本民族の魂的感情から涌き上がって来た本質的な「祝賀」と「喜び」であると考えられる。この民族的な魂的感情は、理屈を超えたものと言える。日本人が、神社の祭りに無条件で感動を覚え、魂が躍動する事と類似している。それは長年月培って来た「民族の血」から発する純粋な感情であるから、マスコミの喧伝や政治的プロパガンダ等の表層的なコントロールでは、誰も止める事ができないのだろう。もう一つ言える事は、(2) 戦後70数年間、反日教育、反日報道、反日勢力による伝統文化破壊がまかり通って来た事により、日本民族の心の中に鬱積していた「反日勢力に対する反発」と「民族的文化伝統に対する郷愁」が、堰を切った様に吹き出て来た現象であると考えられる。

5)「天皇の御代越し」の意味

 更に、それらの「日本民族の魂的感情」の〝本質〟とは一体何であるかを考えねばならない。今回の国民的祝賀感情の爆発的現象のポイントは、「天皇の御代越し」という所にあることは、誰しも否定できないだろう。今回の「天皇の御代越し」は、喩えれば「年越し」に相当すると言える。「カウントダウン」がその象徴だろう。令和元年5月1日の午前零時に、その喜びは日本中で爆発した。そして、人々はこぞって街に出て、見ず知らずの人々とハイタッチし、「天皇の御代越し」の祝賀と喜びを共にした。まるで「新年カウントダウン」である。それらの映像は、国内全放送局は元より、ネット、ツイッター、SNSで瞬時に、日本国民に拡散されたばかりか、世界にその模様が発信されたのである。世界の人々も、2679年間126代に渡って「男系天皇」が延々と続く「天皇の御代越し」の様子を、眼の当たりに体験したことの意義は大きい。世界の人々はその日本特有の「天皇の御代越し」の存在を知ると共に、何故そのような奇蹟が延々と続いて来たかという〝神秘〟を考える切っ掛けとなるに違いない。

6)「新年を祝う」人類共通の本能・・・「永遠性」

 こんな事になるとは小生は思いもよらなかった。自然と小生自身も、次の日人に会うと、「おめでとうございます」と言っている自分がいた。相手も喜んでそれに応えて「おめでとう」と返す。まるで「新年の御祝い」の様だった。人々が純粋に感じる「新年の喜び」とは一体何だろうか。それは至極単純で、「永遠にこの世界が続く」という象徴的行事として、「新年を祝う」という人類の本質的本能を見ることができる。つまり、人類の誰しもが、「世界は永遠に続く」「世界は永遠的存在である」ということを、実感したいのだ。

7)人類は「永遠性」を本質的に求めている

 それもそうだと思う。人間は常に「永遠性」を最重要視する事は当たり前の事である。その最も顕著なものは、「金(ゴールド)」と「ダイヤモンド」だろう。人々はこの二つの鉱物に対して、最大の価値を認めている。それは、「金(ゴールド)」は、最も化学反応し難い金属である(金は唯一〝玉水=濃硫酸と濃硝酸の混合物〟に溶ける)が故に、不変性(永遠性)を象徴する物質であるからである。「ダイヤモンド」は、天然の鉱物の中で最も固い物質である(正確に言えば、ダイヤモンド以上に固い物質は2つほど見つかっている)が故に、これも「永遠性」を象徴する存在として、人々は価値を見出していると言える。(※ダイヤモンドは炭素である為、高温で燃えて二酸化炭素になって消えてしまうが。)つまり、人類は「永遠性」を本質的に求めているのである。それに対して、「すぐに無くなるもの」「儚い存在」に対しては、価値を見出す事は少ない。
 なお、「桜の花」のような儚さを日本民族が愛でるのは、「物質としての花の存在」の〝儚さ〟を愛でているのではない。「桜の花」の潔く散る姿に、肉体人間の「生」に執着する事なく、より高き「永遠的価値」に身を捧げる〝潔さ〟〝無我〟の象徴と重ね合わせて、「桜花」を愛するのであるから、その「儚さ」の奥にある「永遠性」を愛する意味が込められている。故に「現象的儚さ」を愛でる日本精神というものも、霊的、精神的、生命的な「永遠性」を求める行動の現れと言える。

8)人類が「永遠性」を求める理由

 では、何故人類は「永遠性」を求めるのだろうか。その答えは、「人間自身の本質」が「永遠的存在」(久遠の生命)であるからなのである。肉体人間は現象的に見ると儚く消え行く存在として、価値が消滅するかのように見えているが、人間の本質の見えざる〝生命〟は、「今此処に生き通している」永遠の存在である事を、人間は理屈無しで直感的に知っているが為に、「永遠性」を大切にしているのである。もしも、人間の本性が、「消滅する儚きもの」であるならば、「永遠性」を求める事は決してないであろう。何故なら、「何かを求める」という行為は、その存在に対して「自己同化」しようとする行為、もしくは「一体感」を確認する行為であり、それは「自己と同化する」すなわち「こうなりたいと思う存在と自分とは元々一つである」ことを潜在的、直感的に〝知っている〟証拠であると言えるからである。例えば、「バラの花」を見て「美しい」と思うのは、その人の心の中に「バラの花の美しさ」が初めから存在している証拠と言える。すなわち、人間が「何かを求める」という衝動が起ると言う事は、その人の心の中に、既に同じものが存在しているということになる。人類が共通して「永遠性」を求めるという事実は、人類の心の中に、既に「永遠なるもの」が存在している事を証明していると言える。

9)「天皇の御代越し」は「日本国家の永遠性」を立証し、自覚し得る最大の瞬間

 では、「天皇の御代越し」に日本民族は、何を感じているのだろうか。日本民族はその「天皇の御代越し」に対して、「永遠性」を直感的に感じ取っていると言えるのである。それは、毎年繰り返される「年越し」「新年」の祝賀の感情と極めて近似している事から、それは容易に理解できるのである。つまり、「天皇の御代越し」が成立した事自体が、「日本国家の永遠性」を立証し、自覚し得る最大の瞬間だからと言えるだろう。日本民族が「日の出を拝む」習慣があるのも、これと全く同じであり、太陽が変らずに東の地平線から昇ることを祝福して、「この世界の永遠性」を感じ取っているのである。

10)「日本国家の永遠性」は「国民自身の永遠性」の基盤

 その「日本国家の永遠性」の立証こそ、日本国家に住み続ける日本民族一人一人の永遠性、家族の永遠性、地域の永遠性、文化伝統の永遠性を保証し得るものであるからである。日本民族にとっては、これ以上の喜びはないのであろう。だから理屈抜きで、日本国民がこの瞬間を祝賀し、喜び得たのではないだろうか。
この「天皇の御代越し」を体験し得る日本民族ほど、幸せな民族はないのではないだろうか。無条件で国民が喜ぶ姿を見ていて、小生はそう思った。

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