10/「初歩の公案」から「地上天国実現の大公案」へ

 今回も生長の家関連の書込みとなります。どうぞご興味なき方はスルーしてください。

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 谷口雅春先生の御著書は数百冊にのぼると言われています。それら無数の御著書の中でも、雅春先生御自身が「滂沱と涙せずにはいられなかった」と書かれている個所があります。私にとってこの御文章は最も重い種類の「公案」となっていました。それは『ヨハネ伝講義』(同じ文面が『信仰の活人剣』にもあり)の次の部分です。

 《私は、磔けに釘(つ)けられて後復活したキリストが、ペテロと食事を共にしたのち、「汝この者どもに勝りて我を愛するか」と三度繰返してたずねられる処に至って滂沱(ぼうだ)として涙せずにはいられなかった。「わが汝を愛する事はなんじ知り給う」とペテロが答えると、イエスは「わが羊をやしなえ。・・・・われに従え」と仰せられているのである。名称がキリスト教徒であるばかりではなく真にイエスの魂に触れ、イエスに従う者のみが真のクリスチャンであるのである。》(『信仰の活人剣』P69より抜粋)

 これは、『新約聖書ヨハネによる福音書』にある、イエス様が磔(はりつけ)後三日で復活し、ペテロと数人の弟子達の前に現れた時の話です。ちょっと聖書の概要を説明させて頂いてから、雅春先生の御文章を紐解きたいと思います。

 『ヨハネによる福音書』第二十一章によると、テベリアの海辺で漁をしていたシモン・ペテロと数人の弟子の前に、磔(はりつけ)後、復活されたイエス様が姿を現されたのです。全く魚が捕れないでいたペテロ達に、イエス様は浜辺から声をかけられ、「舟の右の方に網をおろしてみなさい。そうすれば、何かとれるだろう」とおっしゃいました。すると、網が上げられないほど魚が捕れたのです。弟子の一人が「あれは主だ」と叫んだ声を聞いて、ペテロは海に飛び込んで、浜辺に立つイエス様のところに泳いで行ったと記されています。

 浜ではイエス様が炭火を焚かれ、パンを用意しておられました。そして、弟子達の捕った魚を焼き、「さあ、朝の食事をしなさい」と言われ、共に食事をされました。これから後の事は、雅春先生著『信仰の活人剣』の御文章に委ねましょう。少し長い引用となりますがご覧下さい。

 《こうして食事が終った後、イエスはシモン・ベテロに対(むか)って言われました。「ヨハネの子シモンよ、汝この者どもに勝りて我を愛するか。」「主よ、仰せの通りでございます。わたしがあなた様を愛している事は、御存知の通りでございます。」シモン・ペテロの心の中には恐懼(きょうく)の心が起こったにちがいない。彼は、「この者どもに勝りてあなたを愛します」とハッキリ言うだけの勇気がなかった。何故なら、イエスが捉えられて行く直前、彼は他の弟子たちよりも優りてイエスを愛するのであって「仮令(たとい)みなの者が躓(つまず)くとも、私だけは躓かない」(『マルコ伝』第十四章二九節)と断言したにもかかわらず、いざイエスが捕えられたとなると、それに連坐することを恐れて、鶏が鳴くまでに三度も「イエスを知らず」と言った彼であった。彼は自責の念で一杯になっている。しかし、今でも彼はイエスを愛することに於て人後に堕つるものではないと思っている。それなのに、捕えられることを恐れてイエスを知らずと思わず言ったのはこの「肉体のニセ物の自分」の弱さであったのだ。彼はつくづくとそう思うのだった。「わが羔羊(こひつじ)を養え」とイエスは言うかと思うと、再び「ヨハネの子、シモンよ、我を愛するか」と問われるのであった。ペテロは、そう繰返して言われることが身にしみて有りがたくまた辛いのである。「主よ。仰せの通りでございます。私があなたを愛しておりますことは、あなたが御存知の通りでございます。」「では、わが羊を牧(か)え」とイエスは言って、やがて、「ヨハネの子シモンよ。お前はわしを愛するか。」と三度同じことを言い給うた。ペテロは、もうたまらなくなったのである。「あなたは一切のことが見透しでございます。わたしがあなたを愛しているということは、既に識りたまう通りでございます。」切実に、切実に、切実に、イエスはペテロに後事を托さんがために、「イエスを愛する」とはいかなることであるかを知らさんが為に同じことを三度も繰返されたのであります。イエスを愛するとは、抽象的にただ「イエスを愛している」と思い、又信ずることではないのであります。それは「わが羔羊を養う」ということであり、「わが羊を牧う」ということである。「羊」というのは牧者がなかったら、散り散りバラバラになって永遠の生命(いのち)を失ってしまう人類にたとえられたのであります。イエスを愛するとは「人類を愛する」ことであり、「人類を愛する」とは具体的目前の人間を愛することであり、そのためには生命をも捨てるということであります。》(『信仰の活人剣』P70より抜粋)

 以上引用が長くなりましたが、「イエスを愛する」とは「人類を愛する」ことであり、「具体的目前の人間を愛する」ということを教えて下さっております。キリスト教の精神はまさにここにあると言われています。

 滂沱として涙された谷口雅春先生は、イエス様の言葉を通して私に何を教えて下さろうとしているのか? これは私にとって余りにも重い言葉であり、長年の公案でありました。引き続いて『信仰の活人剣』にはスター・デーリーについて雅春先生がお書きになった『愛は刑よりも強し』の御文章が綴られています。

 そこには、大東亜戦争敗戦直後の昭和二十二年の秋、谷口先生は暇があるとスター・デーリー著”Release”を読み、停電時はいつも神想観をして神に呼びかけていた、と書かれています。

 《その頃私は、いろいろな事からもっと神に近づきたい気持ちに襲われざるを得なかったのである。自分の無力さと徳の足りなさとが痛感され、私は完全に神の前に打ちのめされたような気持ちであったのである。それだけ私の心のなかに謙(へりくだ)りの情がつちかわれ、その程度に応じて確かに神を呼ぶ回数が殖えて来たのであった。一日幾回神想観し、黙念し、神に呼びかけ祈ったかわからない。・・・(中略)・・・この書を、その心境において読むのは私の心を浄めるに大変役立ったのである。私は読みながら、その要点を書きとった。それは自分が繰返し読んで反省するためであって、人に教えるためではなかった。請われるままにその頃の『生長する青年』誌の毎号に分割してそれを載せたが・・・》(同書P81より抜粋)とあり、それがまとめられ本となったのが『愛は刑よりも強し』でありました。終戦後、未曾有の国難に際しての谷口雅春先生のお気持ちの一旦を知ることができる御文章ではないでしょうか。その中にこうあります。

 《彼(Lifer)は終身刑であるから獄から出て来ることはないが、あたかもキリストが現代に生きていて獄舎にいたら、このライファーのような説教をするのではないかと思われるほど深い教えをするのである。このライファーの言葉は私にとっては第二の聖書といっても好い。彼は多くの人々を救っているが、これによって「彼は寧(むし)ろ自分が他を救い得る特権があるなどとは考えるべきではなかったので、それよりも彼は、自分が『愛』を行じさせて頂くために神から与えられた『愛』の対象であると見るべきであり、その『愛』を行ずる事によって誰が救われるのかと言えば、自分が救われるのである」などと説くところなど痛く胸を打つものがあるのである。・・・(中略)・・・ライファーは又言う。「愛のない説教は未だかつて一人の魂を救ったことはないし、これからも決して救い得ないだろう。人類を愛し抱擁することによってのみ、君は君の魂を救うことが出来るのだ。」》(同書P83より抜粋)

 スター・デーリーを導いたライファーの言葉を通して、ここに、谷口雅春先生の実に美しい信仰姿勢の極地を見出しうるのではないでしょうか。

 目前の人間は、「自分が『愛』を行じさせて頂くために神から与えられた『愛』の対象」であり、「その『愛』を行ずる事によって誰が救われるのかと言えば、自分が救われる」と断言せられているのであります。ややもすると、小生など凡人は、生長の家の真理を多少聞きかじったことを好い事に、人様に説教をしがちになるのであります。真理を知らずに迷っているなどという態度で相手を観下して、お説教をしている自分を見出し、後で大いに赤面することとなります。

 この点、谷口雅春先生の上記の御姿勢は、誠に小生の指針となるべきところでありました。謙りの姿勢は、神を呼ぶ心に通じます。大体自分を振り返るに、調子の良い時は、神様を全く呼んでおりません。

 ペテロはイエス様が磔にかかる前、愛している筈のイエス様を裏切りました。その裏切りの事実に基づく謙りの謙虚さあるが故、復活せるイエス様の言葉「我を愛せよ、しからば我羊(人類)を愛せよ」との命令に従順に従い得たのです。そして「人類すなわち隣人を愛することは、目前の人間を愛すること」であり、「目前の人間を愛することによって、自分自身が救われる」ことになるとお教え頂きました。

 谷口雅春先生が「現代のキリスト」と称し得るライファーの言葉を通して、《人類を愛し抱擁することによってのみ、君は君の魂を救うことが出来る》と、谷口先生は私達にお示し下さいました。
 
 
 今、生長の家で問題化されているところの、現総裁先生に対するテーマを振り返った時、私は谷口雅春先生の信仰姿勢の極地とも解し得る上記の御文章を、無視するわけにはいかなくなるのであります。前回の書込みで私は現総裁谷口雅宣先生に対してやっと感謝ができたことを告白させていただきました。そこでは、自分自身が生長の家立教の真の使命を忘れていたことを思い出させていただきました。と同時に、その立教の真の使命を私の使命とさせて頂くべく、報恩行を開始させて頂く決意も申上げました。

 今回の書込みでは、「愛することによって自分が救われる」ことを再確認させて頂きました。「神は愛也」です。「愛する」とは、「神を見出す」ことであります。さすれば、現象に現れた相手(自他一体の世界でありますから、相手と見えるものは本来自分自身でありますが・・・)が不完全であると見えるならば、その現象の奥に実在する「実相」の完全円満なる神性を、自分自身が拝み、「神想観」することを怠って来たことの、現れであると言わざるをえません。

 この観点から観察するに、我等生長の家の真理を学ばせて頂いている者のすべき事は、「不完全と見える相手の現象の姿を否定」し、「現象の相手の姿の奥にまします完全円満なる実相の姿をしっかりと観続ける」こと以外に方法が在りましょうや。

 ここに雅春先生が昭和30年11月号の『生長の家』誌に書かれた、次のような御文章がありますので、御紹介させていただきます。

 《『天下無敵となるには』・・・・悪に対して、悪を実在者として戦いを挑んではならない。悪は存在しないのであるから、それをアリとして戦えば、その悪は吾々自身の「アリ」と云う観念によって支えられて、実在するかの如くあらわれて戦えど戦えど消えることはないであろう。それよりも必要なのは、「そんなものは実在でない」と無視し黙殺し、その「無」を念ずると共に、静かに「神のみ実在したまう完全調和の世界」を心に描いて、その善なる世界の存在のみを心に強調するが好いのである。「無限の力が自分にはあるのであるから、自分には向かうところ敵はない」と念ぜよ。》

 《『実相を信じ、現象に対処』・・・・すべての悪の存在と、悪が力を持つと云う考えを否定せよ。漠然と「悪は存在しない」と思って、ぼんやりとして手を施すすべもなく、悪の跳梁(ちょうりょう)にまかせよと云うのではないのである。「悪は本来存在しないから無力である。自分は存在しないものを恐れないのである。自分は善の一元を信じ、善のみ存在することを信ずる、善の前には悪はおのずから消えてしまうものである。」と念じて、心を平和に落着かせて、神と供にある自信を以て、神の智慧の導きたまうままに全力をつくすがよいのである。》

 《『悪を消し善を実現するには』・・・・すべての事物は心の顕現であるがゆえに、心の世界に於いて悪の存在を否定することが、悪を此の世から絶滅する根本的方法である。「存在を否定する」とは「そんなものはアルように見えてもナイのだから」と手を束(つか)ねていることではない。心の力によって「悪よ汝はあるが如く見えるけれども存在しないのである。汝は本当は善であるから、必ず善の実相をあらわすことになるのである。」と強力に念ずるがよい。・・・(中略)・・・思念が徹底すればその通りに成る。》

 今まさに生長の家で問題化してるテーマ、これらは私達一人一人に与えられた親神様からの「公案」とも云えましょう。ライファーの言葉を借りれば、「自身の魂が真に救われんがために、神から与えられた愛の対象」とも云いうるのではないでしょうか。この神様から与えられた「公案」に対して、人により様々な対処の仕方が出て来ると思います。それぞれの選択はその方の信念に基づく選択でありましょうから、それはそれで尊重すべきだと思います。しかし、そこで選択した手法は、それがさらなる種となり、必ずや現象界に自身の心の展開として映し出されること、間違いなしであります。また、そのとき、その環境に現れた現象の姿が、過去の自分の心の姿の写しであったことを学んで、修正するのも一つの方法でもあります。まあ、いずれにしましても、神の子等は「心の法則」と云う「観世音菩薩様の慈悲の説法」によって、弥が上にも悟って行くように運命付けられているのですが・・・。

 しかし、吾々生長の家の真理を学ばせていただいた信徒は、すでにそのことをよくよく知っておりましょう。わざわざここで遠回りする必要もありますまい。今その真理を実行に移す方が、よほど賢いのではないでしょうか。吾々にはこれから為すべきもっともっと大切な仕事が山程あるのですから。

 「この宇宙は神一元、自他一体の世界であった。他人と見えるものも全て自分であった。」「目前の人間を愛することによって、自分の魂が救われるのであった。」「環境に現れるものに感謝し愛する(実相を観る)事によってのみ、自身が神であったことを知り自身が救われるのであった。」「なんと有り難い、摩訶不思議な世界に住まわせて頂いていることだろう。ありがとうございます。ありがとうございます。」と感謝しつつ、目前に現れている現象の不完全さを、本来なきものであったと強く否定し、善のみ実在の大調和完全円満なる神様の世界を悠々と観て、明るい心で感謝し愛を行じる事の方が、よほど賢いことであり、早道であるのではないでしょうか。さすれば、速やかに「目前の公案」は消え去り、次なる「高度な公案」に進む事ができましょう。
 
 我等生長の家人は、この「初歩の公案」の卒業試験に速やかに合格し、さらなる「高度な公案」の世界に超入したいものであります。地球における最大の公案は「地上天国実現」という公案であり、そのベースとなるのが、取りも直さず「天皇国日本の実相顕現」と「人類光明化運動」にあるのです。日本という偉大なる国に生を受け、生長の家という偉大なる真理を学ばせていただいた私達生長の家人であればこそ、谷口雅春先生の悲願であった「天皇国日本実相顕現」と「人類光明化運動」という車の両輪を駆使し、「地上天国実現という大公案」を解決し得るのであります。

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