古-15/[2章6節]「時間空間」は、「過去」を計測(認識)するための道具である

「時間空間の物質世界」は、要するに、「過去」を観察する為の「道具」に過ぎないという事が結論である。
「過去は無い」のであるから、「時間空間の物質世界」も無いということに、人類はそろそろ気付かねばならない時期に来ている。「物質がある」と思い込んでいるのは、間違いだと言わざるを得ない。

釈迦は「物質無し」を徹底して解かれた。仏教の基盤は、「色即是空」「空即是色」の「物質無し」と言える。キリストも、「吾が国はこの世の国に非ず」「神の国は汝らの内に在るなり」と言われた。「汝らの内」にあるものとは、「主体たる生命(神)」であり、「物質(肉体)を超越した〝今の生命〟」である。「肉体」や「物質世界」という「外の世界」(客観世界)に、「神の国」(本当の世界)があるのではない、ということを喝破されたと考えられる。つまり、「物質は本当の世界ではない」ことを意味している。

『古事記』も「時間空間を超越する世界」を、随所で指摘している。その代表は、《古-11/[2章2節]問題は時間空間の世界にあり、解決は無時間無空間の世界にある》で紹介した、「無目堅間の小船」と言える。『古事記』の作者達は、「時間空間の物質世界」が無いことを、ちゃんと知っていたのである。そろそろ人類は、「土の塵から作られた人間」という「神学」や、「物質が有る」という「近代科学」の呪縛から脱して、釈迦、キリスト、『古事記』のレベルに到達すべきと思う。

「土の塵から作られた人間」という「神学」や、「物質が有る」という「近代科学」の呪縛ほど、馬鹿馬鹿しい考え方はないのだ。自分を「神の奴隷」「物質的被造物」と卑下する人間は、いつまでもその呪縛に縛られることによって、「自虐的快感」を経験することになる。精神分析の世界からみれば、フロイトの「自己破壊願望(デストルドー)」に当る。「自分をつまらないもの」と信じている限り、「自己を破壊する」行為を無意識的に求めることになる。人類の悲劇の歴史を突き動かしているのは、「土の塵から作られた人間」という「神学」と、「物質でできた人間」という「近代科学」が原因であると言える。

つまり、「物質がある」「人間は肉体だ」と勘違いしている限り、人類は「人類自身を傷つける(破壊する)方向に突き進む」事になる。人類の歴史から悲劇を払拭する為の唯一の道は、「物質は本来無く、人間は神の生命だ」と自覚する事にある。釈迦やキリストや『古事記』の悟りのように、「物質世界は本来無い」のであって、「人間は神(仏)と一体」だという自覚に入る時、「自虐的快感」(自己破壊願望)から脱する事が出来る。

「天皇、国民」を「神」として拝み、森羅万象を「八百万の神々」として拝み得る『古事記』の精神を実践して来た日本民族が、如何に素晴らしい国家を作り上げたかを見れば、その思想の正しさは証明されていると言い得る。これからの地球は、今まで「神学」と「近代科学」という「唯物思想」を世界に輸出して来た国々に対する、『古事記』思想の逆輸出となるだろう。
              (あまむし)


 以下は、ウェブサイト【『古事記』は地球問題の解答書】(うらしま たろう著)からの転載です。


   引用元「ふることぶみねっと」
      【『古事記』は地球問題の解答書】
      http://furukotobumi.net/02chapter/02c-06.html


///////////////////////////

『古事記』は地球問題の解答書

---- 時空の迷いを断つ『古事記(ふることぶみ)』----

第2章/『古事記』の「唯神一元論」を科学的に証明する
[6節]「時間空間」は、「過去」を計測(認識)するための道具である


1)現代科学が存在を認めている「現象世界(物質世界、時間空間の世界)」

 「生命・心・想念の世界」に対立する概念が、「時間の継続」や「物質の存在」や「時間空間の存在」という概念と考えられます。これらの概念は、客観的に事物を観察することのできる世界であり、ここでは「現象世界(物質世界、時間空間の世界)」と呼んでおく事にします。現代科学が見つめているのは、この「現象世界(物質世界、時間空間の世界)」であります。従って、現代科学では観察不可能な「生命・心・想念の世界」には言及できないでいます。ここでは、現代科学の抱える多くの矛盾を知ることによって、「時間の継続」や「物質の存在」や「時間空間の存在」の概念の縛りから解放させ、「生命・心・想念の世界」に迫ってみたいと思います。


2)「物質が有る」という概念から始まっている現代科学

 「物質有り」の「唯物論の観点」は、「物質が存在している」ということを大前提にしています。実は「物質が有る」という概念は、「時間と空間」が無ければ成立し得ない概念です。


3)「離れなければ」客観的に観察できない

 「物質が存在する」という風に認識する為には、「客観的に観察する」必要があります。「客観的に観察する」為には、どうしても自己(主体)を中心とした「自他分離の時間空間」という座標軸上で、「対象となる物質(客体)」なるものを観察しなければなりません。それは、観察する「自分(主体)」と、観察される「物質(客体)」とが、「離れた状態」にあるということを意味しています。「離れなければ」客観的に観察できないのです。


4)「時間空間」は「過去」を計測(認識)するための道具(物差し)である

 この「時間空間の概念」は、「過去」を作り出します。「時間空間」上の全ての存在は、「物質」として客観的に認識することができるのですが、それは「過去」として認識する事を意味しています。「時間空間」は、「過去」を計測(認識)するための道具(物差し)であると言い得るのです。その証明を次に行います。


5)今見えているシリウスの光は、8.6年前のシリウスの「過去」を見ている

 一番端的な例を示せば、宇宙の恒星の存在です。地球から見える恒星で、最も明るい星はシリウスで、シリウスは地球から8.6光年離れた星であり、シリウスで発した光が地球に到達するまでに、8.6年時間がかかる、ということを意味しています。つまり、8.6年前にシリウスが発した「光」を、今地球上で観察しているということになります。今見えているシリウスの光は、シリウスの8.6年前の「過去」を見ていることになります。


6)「現象世界(物質世界、時間空間の世界)」で観察し得る「客観的存在(物質)」の全てが「過去」

 シリウスの観察例で解る通り、一事が万事、「時間空間」上に存在する物質は、一切が「過去の状態を観察している」と言える事が分ります。例え、手で触れ得る間近の物体であっても、僅かであっても「距離」があるという事は、「過去を観察している」ということを意味しているのです。つまり、「現象世界(物質世界、時間空間の世界)」で観察し得る「客観的存在(物質)」の全てが、「過去」だという結論になるのです。


7)「観察する」ためには、「過去」をわざわざ作る必要がある

 「過去」しか、客観的に「観察する」ことは不可能なのです。別の言い方をすれば、「観察する」ためには、「過去」をわざわざ作らなければ観察できない、とも言い得る事ができます。「存在」を客観的に認識するためには、「時間空間の概念」の中で、「存在」を「物質(時間空間的広がり=過去)」として捉える必要があるという事です。客観的存在である「物質(存在)」とは、すなわち「過去」なのです。


8)「過去」を「物質」として認識している

 ここで一つの結論を見出す事が出来ます。客観世界(時間空間の世界)に存在する「物質」は、遠い近いに関わらず、全て「過去」であると言う事です。即ち『「物質」は「過去」である』という結論に到ります。言葉を変えれば、吾々は『「過去」を「物質」として認識している』と考えられるのです。


        「ふることぶみねっと」
          うらしま たろう
         © 2018 Urasima Taro

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 5

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス
ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント