古-14/[2章5節]「生物」と「生命」を混同している現代科学

「生命」とか「心」とか「想念」とか「意志」というものを、否定している人間はこの地球上で、一人もいない筈である。それは何故かと言うと、一人一人自分自身を〝内観〟してみると、「生きている」事、「何かを考えたり思っている」事、「感情がある」事を知っているからである。だから、普通の人は、普通に「生命」や「心」や「想念」や「意志」を、排斥しないで十分認めながら生活している。それは極めて当たり前の事である。

しかし「科学者」の多くは、頑なに「科学の世界」に「生命」や「心」や「想念」や「意志」を導入しようとしない。それは、「科学的に証明(観測)できない」という単純な理由かららしい。そんな事では、科学はこれ以上劇的に進歩する事はないだろう。 現代科学の最大の欠点を上げるとすれば、「生命」「心」「想念」「意志」を「科学的」に認めない所にある。
              (あまむし)


 以下は、ウェブサイト【『古事記』は地球問題の解答書】(うらしま たろう著)からの転載です。


   引用元「ふることぶみねっと」
      【『古事記』は地球問題の解答書】
      http://furukotobumi.net/02chapter/02c-05.html


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『古事記』は地球問題の解答書

---- 時空の迷いを断つ『古事記(ふることぶみ)』----

第2章/『古事記』の「唯神一元論」を科学的に証明する
[5節]「生物」と「生命」を混同している現代科学


1)科学は「生命そのもの」の研究はしていない

 一般的に、「生命」や「心」が存在していることを否定する人はいないと考えられます。現代科学では、「生命的活動」を行っている物質、即ち「植物」や「動物」という客観的に観察可能な物質面を見て、それを「生き物」として捉えていますが、「生命そのもの」についての研究には至っていません。


2)科学は「生き物」と「生命」とを混同している

 そもそも「人間・動物・植物」等は、「生き物(生物)」ではありますが、「生命」や「心」との関係がどうなっているのかについては、科学的には全くと言っていい程、議論も検証もされていないようです。小生の理解では、現代の科学は、「生き物」と「生命」とを混同している可能性があると思っています。物質的に現れている「生物」のみを「生命」と捉え、物質を表わしている所の非客観的「生命」を無視している傾向にあるように感じます。科学的に観察したり、証明したり出来ない「生命」や「心」そのものを、認めるには至っていないのです。


3)科学は「死」や「生命活動」の本質を解明していない

 それは、「生きている人間・動物・植物」と「死んだ人間・動物・植物」との決定的相違を、現代科学では明確に解明し得ていないと考えられます。つまり、現代科学は「死」や「生命活動」の本質を解明していないと言えるのです。


4)「観察」できないだけの理由で、「生命・心・想念」を排除している

 しかし、現代科学者は、動物や植物が「生きている」ことを認め、自分の心の中では「生命」を認めているに違いありません。又、人間には「生命」があり、「心」「想念」があることも認めているに違いありません。ただ、科学的に明確に「観察」し、「証明」し得ていないだけの理由で、それらの「生命」や「心」や「想念」を、「科学の分野」から排除しているのだと考えられます。


5)自己が認識している存在を無視する事は「自己欺瞞」

 その姿勢は、「真実からの逃げ」ではないでしょうか。言葉を変えれば、「自分自身に対する欺瞞」ではないのでしょうか。つまり、自分自身の体験的直感によれば、「生命・心・想念」は存在することを認めているに相違ないのですが、科学者としての〝仕事〟においては、「生命・心・想念」は無視して、それらの要因を排除して思考し、理論を構築していることになります。


        「ふることぶみねっと」
          うらしま たろう
         © 2018 Urasima Taro

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